k_kansai_small1.gif (3555 バイト)第一回関西突破塾 参加者レポート   ver2k_kansai_small1.gif (3555 バイト)

 


と き:2000年5月28日(日) 於 京都ホテル 曲水の間
ゲスト:第四代 会津小鉄会長 高山登久太郎氏

2000年6月6日 UpDate   17 名分のレポート掲載中

写真はマルデンさん・ロビタ一号さん・O次郎さん撮影


れ馳せながらリポートを提出させて頂きます。
まずは開講にご尽力戴きました寅姐様はじめ乙女組スタッフ一同様に感謝申し上げます。参加させて頂き有り難うございました。
高山登久太郎氏の印象及び感想は、こうゆう人が本物のやくざなんだ、いや本物の男がやくざをやっていたんだと感じました。
氏が「任侠、任侠と言い過ぎや、任侠は何もやくざの専売特許やない男の生き方である」と言うようなことを仰っていましたが、ご尤もと思いました。今日、あらゆる分野で侠気が失われてきている事が世の中腐らしている元だと思います。

警察及び官僚機構が管理社会に導いてる元締めは後籐田なのだろうか、してその黒幕はアメリカ資本なのだろうか、おそらくそんな気がするが、日本を在米資本の餌食にしようと努力している老人たちは何がが悲しくか嬉しくてやっているのだろうか。自分は所詮余命幾ばくもないのに、子やら孫やらが潔癖馬鹿社会でアホに育つ努力をする真意は何なのだろうか。人間なんか所詮生きて百年未満なんやし、他人の頭で考えたり、他人の舌で味わうような事をしたって面白くもなんともねえだろうに。



と言っても心に残ったのは、高山さんがおっしゃった「とにかく食うのが先決」という実感のこもったお言葉です。

卑小な自分に引き付けて解釈してしまうのかも知れませんが、いつでもその現実から逃れられない我が身の日々を思うと、
さらに、命賭けた(賭けざるを得ない)世界へ至った仁侠の人々が抱える重い境遇や決意を考え、まだまだな自分を知らされます。

宮崎さんの著書にある「ヤクザになったほうが解放されますわ」命賭けて言う若い衆の切迫感と現実に対し、それと伍し得る有りようか否か、常に自分自身へ問いかけ、「貧乏人は金に負ける」ことのないよう生きて行かねばと思います。

「食う」という「先決」の、さらに「先決」をあえて持ち得るか。
「食う」を「先決」とせざるえを得ない貧しい者達にとって、それは意地と反骨と命を賭けた「誇り」であると思います。

この「誇り」を別名「仁侠」と呼ぶのではないですか。「食う」のは自分、まずはその自分を差し置いて「誇り」に生きる。自分がいま腹を減らしているからこそ、まずは人様の腹を満たそうとする。人様の命を守るため、まずは自分の命を捨てる。
本当に自分の腹が減っていないと、逆にそこまで出来ないのでは、と思います。腹減った「貧しさ」を自分が知るからこそ、人助けに奔走せざるを得なくなる。その馬鹿で阿呆な矛盾と悲哀と可笑しみが、そのままお二人の築いてこられた「仁侠」の凄みとして感じられました。

しかしながら、現代においては必ずしも「食う」ことは「先決」となりにくい、奇妙に不幸な有り様ではないでしょうか。ところがそれに反し、「貧しさ」はより深刻に蔓延しているのではないかと感じます。

「食う」という最も分かり易く最も切実な「先決」を失ったために、何を持ってしても満たされない「貧しさ」。
本来の「誇り」を、何を捨てることによって得られるのかが見えないため、「貧しさ」の実感もないまま、漠然と不安のみが人々に鬱積していっているような気がします。

幸い?にも、「食う」という「先決」に追われる日々の私にとって、予算や納期に負けないで、まず「良いデザイン」を作る(作ろうと頑張る)という、小さな「誇り」を持つことが出来ています。
しかしそんなのは本当に小さい意地です。
生活や仕事の苦しさに押し潰されそうになる時、その小さな「誇り」を、さらに「仁侠」というより大きな「誇り」へと育てられるよう、今回のお二人から鼓舞されたように感じました。



日、第1回突破塾に参加しました。とても面白かったです。
塾の設営・準備などお疲れ様でした。宮崎組長の著書で高山会長は何回か登場されていますが、近くで拝見し、また会話(質問に答えていただきました)も出来、満足です。

会長の言われるように、任侠はどんな立場でもある、と私も思います。私は会社務めですが、いまこそその気持ちが大事な時だと思います。

2次会は時間の都合もあり、参加いたしませんでしたが、今後の突破塾で皆さんとの面識を深めて行きたいと思います。

今後も突破塾の開講を楽しみにしております。人手が足りないときはお申し付けください。それでは。



ごろは恐らく皆さんは中津のお店で和気あいあいと二次会を楽しんでらっしゃるところでしょう。残念ながら今回は二次会への出席は見合わせ明日から一週間のうっとおしい会社勤めのために体力を養っている伊藤勝彦です。今回は興味深い企画への参加をお許し頂き本当にありがとうございました。”じゃいあん”さんにもよろしくお伝えください。

早速ですが、感想文を提出したいと思います。
第一に、寅姐さんが私の予想をはるかに上回ったチャーミングな女性だったことには驚きました。これには本当に驚きましたよ。度胸がない私は司会をされている姿をフロアーから見ているだけでしたがドキドキしてしまいましたね。一目ぼれと言う奴かもしれません。ただ、私はストーカー行為をするつもりはありませんからご安心ください。ファンクラブの一人にでも加えていただければ幸いです。

第二に、京都ホテルの従業員の方のサービスのよさにも驚きました。私は仕事の関係上、国内外の一流ホテルを利用することも多いのですが、このような至れり尽せりのサービスを受けたことはありません。邪推すれば、宮崎さんや高山さんが来られるということで京都ホテル側も必要以上に気を使ったのかもしれませんね。

第三に、これは最も驚いたことですが、宮崎さんの印象です。私は宮崎さんの著作を読み、ウェブページでお書きになっていることやアクティブな活動内容から考えて、極めてエネルギッシュでかつ恐ろしいような迫力のある方ではないかと思っていたのです。ところが実際のご本人は、私が想像していたいわゆる閻魔様のような怪人でも化け物でもなく、温和な紳士でありました。また、非常に自然体でいらっしゃることに対しても良いなあと思い、お近づきになりたいなあという気持ちがしました。



さて、今回の高山さんのお話をお聞きして、私はその内容よりもむしろ高山さんの人となり、人間性にひかれました。この方も宮崎さんと同様に極めて自然体で肩のこらない姿勢で生きておられる。勿論、このようになられるまでは様々な修羅場をくぐりぬけてこられたのだでしょうが、それだけに何事が起こっても平気で事態を受け止められるというのでしょうか。何が起ころうとも、あたふたとせずパニック状態にならないような強靭な精神の持ち主になられたのでしょうね。様々な経験をし命がけで生きることが人間を大きくするのでしょうね。

非常に実りある会でした。次回も関西突破塾参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。



日は有難うございました。

ヤクザが堅気と普通に共存していた時代のお話から始まり”警察が権力を徐々に拡大して行きそれに対抗する様にヤクザも合併を繰り返して大きくなっていったそこで防対法で一人の犯罪に対して全体に網を掛ける法律を作ったますます警察は利権を拡大しやがて腐敗がはじまる。
ヤクザは益々地下に潜りマフィア化している。”という現在までの流れをジョークを交えてお話しいただき食入る様に拝聴し、あっと言う間の3時間でした。

”侠”はヤクザだけのもんやない、”侠”とは 身を捨てる事や
男でありたいと言う事にヤクザも堅気も無いのとちゃいますか?
との言葉が今も耳から離れません
今日本に一番必要なものは”侠(おとこぎ)”かもしれませんね。



ろいろご連絡ありがとうございました。本日関西突破塾に参加して得がたい経験をすることができました。高山会長、宮崎組長をはじめ、関係者の方々に御礼申し上げます。

下記に本日の感想をまとめました。

【全体】

 ・前もってレジュメは作成されてましたけど、特にそれに縛られずに非常に本質的な内容が語られていたように感じました。
冒頭の高山会長の「なぜヤクザになるのか」というお話が全体の要であったように思います。

 ・「暴対法という法律がいかに法の下の平等という原則に反しているか」、「ヤクザに対する警察の理不尽なやり口」などについて詳細に伺えましたが、実際をお聞きするにつけ、大新聞がいかに情報入手先として警察発表のみに頼っているかを実感させられました。

 ・山口組についてもっといろいろとお聞きできるものと思っていましたので、神戸にいる私としては席上あまり具体的な話をお聞きできなかったのは少々残念でした。山口組に関してはいろいろと書籍も出版されていますので、まずはこれらの書籍で補習をしたいと思っています。これらの書籍だけでは不充分と思いますので、また機会がありましたら、突破塾で取り上げていただければ幸いです。

【高山会長】

 ・時代に対する鋭い眼を持つ方だと感じました。

 ・昔の「分権的ヤクザ」の時代を語りつつも「昔はよかった」という詠嘆に流れず、「悪い時代になってきている」とおっしゃいつつも、単なる抗議/憤懣にならずに「いかに食っていくか」という現実を探っておられる。現実的で明晰な方と思いました。

 ・「生まれ変わってもヤクザをしたいか」という質問に対して、「こんなしんどいことはしたくない」というお答え、「ヤクザと任侠について」という質問に対して「任侠はヤクザだけのものではない、男の生き方だ」というお答え、どちらも会長の今までの生き方の重みのあるお言葉と受け止めました。

【宮崎組長】

 ・今回はホスト役ということで、あまり詳しくお話を伺うことはできませんでしたが、盗聴法に関するスタンスなどを生で伺えたのが今回の収穫と思いました。

 ・今後も突破塾ではホスト役をお勤めになると思いますので、別途ウェブサイトや講演、著作などでいろいろ勉強させていただこうと思ってます。

【電脳キツネ目組】

 ・推薦図書もほぼ読み終わり、資格はほぼ満たしている訳ですが、入ることはちょっとためらってます。今入ったら、ただ神輿にぶら下がってるだけになってしまう、自分はこれをやるんだ、電脳キツネ目組の看板なしでもこれをやるんだ、というものができるまでは入らないでおこう、と思っています(考え過ぎかもしれませんが)。特に神戸ではイリオモテヤマネコさんという先達がいらっしゃいますから、ええ加減なことはできんという風に感じてます。

【突破塾】

 ・参加証に12個のコマがあるということは、以後11回開催される予定と勝手に受け止めておきます。(^^)

 ・上に書いたように、しばらくは組に入らんと思いますので、非組員として勉強さしてもらおうと思ってます。突破塾の本来の趣旨から言うとえらい邪魔もんですし、組員で参加した方が安くつく(笑)訳で、何も無理して非組員で通す必要はないわけですが、身銭を切らんと身につかんという古臭い考え方なので、申し訳ありませんがこれで行かしてもらおうと考えてます。

 





を聞いている最中に、「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」という言葉を思い出しました。宮崎さんとの初対面の時も感じたことですが、客人(高山さんこそが客人のはずなのですが)に対する礼儀正しさというものがにじみでています。
また高山さんが言われていたことの中で、「やくざになろうとして来るやつはしょうもない連中ばっかりだ」というのがありましたが、そういう人たちの頂点に立ち、教育し、束ねていくのは並大抵の器量ではできないし、またその間、命のやりとりまでしているのですから度々宮崎さんが言うように「やくざはエリート」というのは誇張でもユーモアでもない正味なことなのだと思いました(逆にそういうところが権力側のカンにさわるのだとも思いますが)。
 
 高山さんが、「警察の悪事を書いた本は100冊以上あるのに、国民はなぜそれに気づかないのか」とおっしゃっていましたが、私なりに考えるに。三つの理由があるかと思います。
一つは、何はともあれ以前の日本警察の検挙率が高かった、つまり過去の遺産がまだ残っているということです。もう一つは、一般の人が、警察とそれほど深いかかわりをもっていない、少なくとも逮捕されたり犯罪の被害者になって警察の世話になったりしていない、ということだと思います。
逆に高山さんや宮崎さんは、警察や権力と対峙する機会が長年に渡ってあったしこれからもあるのでしょうから、警察の本質がよく見えているのではないでしょうか。私自身、免許を取って単車に乗るようになってから警察に対する見方ががらっと変わりましたし、去年、単車を盗まれた(すぐに見つかりましたが)ときの警察の対応を見て、完全に警察を信用しなくなりました。最後は、やはりテレビをはじめとするマスメディアの影響でしょう。夜のコールデンタイムの「提供・警察庁」特番のいかに多いことか。

 最後に、第一回突破塾を終えて、私自身の中に残ったものを考えていますが、言葉としてはほとんど残っていません。これは、宮崎さんの著書を読み終えたときも同じなのですが、残るのは’(生きていく上での)感覚’です。普段は意識しないけど、セッショに立ったときに鮮やかに頭に浮かんでくる類のものです。
なにはともあれ、これほどの器量の侠の話を間近で見聞きすることができたことに感謝します。


西突破塾の第1回目に参加するという光栄に浴した野村です。関係者の方々のご尽力のおかげで、今まで見たこともない非常に面白い会でした。次回も楽しみにしております。
 以下、私のレポートを記します。率直に書きますので、ご無礼なところがあればお許しください。

 昼頃、三条駅に着く。京都ホテルを確認してから、長浜ラーメンを食べに行く。途中、反共を叫ぶ街宣車の列や、キリストによる魂の救済を叫ぶワゴンやら、「完全無所属」を連呼しながらひょっこりひょうたん島のメロディを流して走る何かの選挙の候補者の車やら、知らない間に京都はホットな都市になっているのを知る。

 ラーメンを食べた後、時間があるので本能寺へ。宝物館に入る。さして良い展示とは思わなかったが、1つ気づいたといえば、政変の起こる際には何らかの予兆があるということ。「碁を打っていたら異様な石の配置になり、怪しんで途中でやめてすぐ、本能寺の変が起こった」 「本能寺の変が起きると銅でつくったカエルが泣き出した」など。
大化の改新などの前にも奇怪な出来事が次々と起こったといわれます。今度の選挙の前にも何かそのような異変が起きるはずです。「深夜、国会前に狐火が見えた」とか「普段は上手に焼けるホットケーキが今日に限って黒コゲになったのは政変の予兆だ。」とかですね。
 いい時間になったので京都ホテルに戻る。さすが一流ホテル、緊張する。3階に上ると、宝石の展示会場に並んで突破塾の会場があった。一方では上品で裕福そうなご婦人がた、もう一方ではヤクザ映画のことを話す方々。寒流と暖流は接しても決して混ざらんというのはああいう光景ですね。

 受付に行くと、突破者太陽伝のチケットを薦められる。「何枚ですか?」と言われ「1枚・・・。」と答える。すみません・・・。
 しかし、周囲を見回し形容しがたい参加者の方々を見て、思わず受付の方に「突破党の会合には初めて参加するのですが、どのような方々が来られているのですか?」と伺う。すると「学生の方や社会人の方などいろいろいらっしゃいます。」とおっしゃいました。「やはり、党員の方が多いのですか?」と続けて伺うと、「いえ、キツネ目組組員の方はいらっしゃいますが、突破党とキツネ目組は公明党と創価学会のように別組織ですよ。」と。うーむ、突破党とは無関係の突破塾だったか。いまだに混同しております。申し訳ございません。

 また、ヒゲをはやした大柄の方がしきりと写真を撮っておられた。「さすがは戸田議員。議員やのにカメラマンの役目をなさっている。さすがは市民派」と勝手に感銘を受け、「戸田議員ですか?」とおそるおそる伺うと、「よく言われるけど違うんですよ。」・・・。失礼しました。(注 このページの写真とってくれたマルデンさんです)

 会場に入り初めてトッパちゃんの本物をみる。とんがり眼だが不思議と愛嬌がある。欲のなさそうな顔をして大儲けするたれぱんだよりずっと好感がもてる。
 しばらくすると高山会長、宮崎先生が入場される。両氏ともに恰幅がよいが、写真で拝見するよりずっとかっこよく、失礼かもしれませんが愛嬌がある。
 さすがに比類ない経験を重ねてこられただけあって、高山親分のおっしゃる一言一言に説得力がある。そして、その主張は明快であり「真っ当」である。石井一昌さんの著作を拝読したときも感じたことですが、凄まじい経験をされて、一見怖そうな方々が「至極もっとも」な主張をされる。でも、テレビにでる普通の顔したコメンテーターやら有識者が逆に訳の分からぬことを言っている。今の世の中どうなっているのか。

 印象に残った御言葉をいくつか記しますと、

*「韓国人としては選択肢がないので、とにかく衣食住のことを優先的に考える。生きるためにヤクザに入って初めて任侠という言葉を聞くがピンとこない。とにかく食うのが先決なわけです。食うためにバクチをする。」

*「任侠とは地域社会の世話人、面倒見る役。町内会長。」

*「自分がどう生きるかは自分が決めること。親方が決めることではない。」

*「警察は特殊法人とかつくって自分の仲間が楽に食えるようにしているが、ヤクザは誰が食わしてくれるんや。」

*「ヤクザの中でも差別はある。」

*「ケンカに韓国人の名前がよく出されるから多いように思えるけど、それほど多くなかったのでは。」

*「ワシらは韓国の歴史を知らんかった。日本で生活を営むから日本に役立つことを考えていた。」

*「日本伝統の任侠道を韓国人が侵すことしたらあかん。我々が日本の歴史を傷つけることをしたらあかん。」

*「バクチつぶしたのは汚点や。バクチほっといたらこんなに大きくならんかった。」

*「20人30人子分がついていくのが大きな親分やった。親分は質屋通いをよおやっとった。」

*「警察は自分らの襟を正さんと市民を締め付ける。警察が襟を正せばヤクザも襟を正す。」

*「観光都市京都でドンパチおこしたら世界に恥ずかしいと、昔のヤクザは互いに話ができていた。」

*「ワシが憎いならワシをほりこめ。ワシの家族まで巻き込むな。」

*「暴対法に関してワシが言ったことをマスコミは一行も書かん。」

*「親分ほど難しいもんはない。一番頂点に立つほど難しいことはない。NO・2におったらNO.1のために一生懸命やればいいだけやが。」

*「主治医から引退して体が良くなったと言われた。」

*「我々がカタギのために命はったら、みんな拍手喝さいするで。」

*「年寄りが堕落している。何でも恩恵乞うことばかり考えている。何のために年寄りが長生きせなあかんねん。」
  「ワシ、自分がここまで生きれるとは思ってなかった。」

*「権力と戦っていた学会が何で与党になってるんや?信者は選挙の要員ちゃうで。」

*「今の警察は怪我をするのを嫌がる。パトカーから出てこおへん。」

*「ワシは国の法律にも憲法にも従う。でも今の法律は弱者だけに適用される。小渕には適用されない。」

*「テキヤほおりだしたら外国人マフィアが入ってきた。警察は外国人を取り締まらない。」

*「このホテルにも3人、警察がおる。」

*「ヤクザは金ないのに無理してベンツ乗ったり、無理して良い服着るから、警察にひがまれる。」

*「どんな良いことしてもヤクザと言われる。」

*「今のヤクザはニューサラリーマン、命かけんとブラブラして飯食っとる。昔は腕っ節がなかったら幹部になれない。今は金あったらなれる。」
高山会長
*「貧乏人は金に負ける。」

*「会津小鉄の初代は幕末に伏見の戦いで死んだ賊軍兵士の死体を供養したので、官軍の大将から咎められたが、「死んでから官も賊もないんや。」と言い返した。その後、牢獄に入れられ、砒素を混入された。出獄して1ヶ月後死んだ。」


 高山会長の御話を伺って思い出したのは私が現在ちょこちょこと布教につとめている福沢諭吉先生。諭吉先生は「百姓は米作るのが商売、商人は物を売り買いするのが商売。政府は法令を設けて悪人をおさえて善人を保護するのが商売。どっちも同じ商売をしてるのに何で政府はエラソウにするんや。」とおっしゃってます。ましてや、その仕事すらろくに果たさず、エラソウにしている現在の政府や警察はいったいどうなっているのか。 

 また、役人がその立場をかさにきて旅館でただ食いしたり、金をゆすったりすることも批判しておられる。日本は昔より良くなったと思い込んでいたら、全然進歩してないのではないか。身分差も明確になってきているし・・・。

 また、任侠に関して私が思ったのは孫文のいう「王道」の政治。強い列強が力で他を支配する世ではなく「弱きを救い危うきをたすける」世界です。宮崎先生の「血族」にもその世界を感じました。話はズレますが、「血族」はとても良い。とくに森の妖精殺しの復讐をするところは読み返すほど凄まじい。あの文章は黙って目で追う文章ではありません。声に出して音読すべき文章です。民主主義的な良識をもった人物がぞろぞろでてきて、なんかしらんけど仲良くなって終わるような小説と読み方を一緒にしてはいけない。

 宮崎先生は奇しくも同姓の侠客、孫文に協力した宮崎滔天と重ねてしまいます。
 「ある人は人間たるものでっかい志を立てるべきやと言い、ある人は身の程を知らんと一生を誤るぞと言う。前者は人間を大きくするが、誤ると空に落ちて無為に終わる。後者は人間を小さくするが、誤ると萎縮してせっかくのチャンスを活かせない。私滔天は前者に誤るものか。」
 いいかげんな訳ですが、私の好きな滔天の言葉です。またこうも言っております。
「理想は実行すべきものなり。実行すべからざるものは夢想なり。」

 


5月28日は楽しみにしていた突破塾が京都で行われた。私にとって京都は35年以上まえ学校の修学旅行以来の場所なのでどのように移り変わっているのかと気持ちもわくわく、久しぶりに勉強会なので前夜から気合いを入れるので新幹線を使わずあえてバスにして一人の旅人が濃密な人間と出会うと言う状況を設定して朝7時京都到着。いつも見慣れた新宿駅周辺と違って心なしか、観光都市の成果なのかきれいになっていることに感銘。宮崎さんの本を読んだりパソコンを通じて人としての成長を高めあおうとしている心がある人との出会いなのでほかで交流をする人とは全くちがうなーといつもながら得心させられる。これも一に親分の人徳のなせるわざゆえなのでしょう。金拝教が万延している今日、おとこぎー侠気損の出来る人間になれなければと、器を広げなくては、と思うのですが日暮れて道とおしの自分ーいかん、いかんさて本題

さすが権力から烙印を押されて闘ってきた市井の民ゆえ権力が用いる道具法に対する恣意的運用に対しては、はらの底からの怒りはひしひしと伝わってきて感銘を受けました。なまじ知識で得たうすっぺらなものでなく権力が乱用、悪用する法というものの対峙のし方はこれからの私にとって大きなテーマとなっていくことでしょう。生きるためにひっしに道を開いてきた高山さんのようなかたはけんりょく者にとっては手強い存在ゆえどのような形、、、法がなければ作ってまでして押さえ込もうと言うやり方には悪代官はいつまではびこべば気が済むのだろうと嘆息しますが、やられっぱなしでは犠牲が増えるばかりなので相手をりょうができるものを日々のなかで身につけていこうと思います。高山さんのご配慮であのような立派な会場で血肉となるトークにさんか出来たことに感謝しております
これからの自分の人生に心の灯台ができたようなきがします
パソコンで文章がつたないながらも送れるようになったのもごく最近なので間違いもいっぱい有ると思いますがお許し下さい。裏方を引き受けてくださった方々も本当に有り難うございました。都市空間を漂泊する万象よりつたないメッセージでした。



は高山さんという方は非常に誠実な方との印象を受けました。
それは話し方、聞き方、態度等からで人の目を見て話し、人の目を見て聞き、自分の言葉で誠実にまたユーモアを交えて回答し語られる方でした。態度においても礼儀正しく隙の無い方だな、きっと平時に命のやり取りされた方はこの様になるのだなと思いました。このあたりが色々と相談を持ち掛けられる所以でしょうね。
人の話しを聞かずまた態度の横柄な昨今の警察の不誠実さとは正反対だなと最近の警察不祥事を見ていると何されるかわからんので相談できませんもんね。

質問コーナーに入り質問(新潟県警の図書券云々について)させていただいのですが本当は「博徒があんな事(図書券掛けるのはバクチでないと)言わしといていいのか?」
「本職(博打)を取られた博徒がなぜ立ち上がらないのか?」
と言いたかったのですが高山さんにあの目で見つめられていると頭が白くなり...(びびってますね)
でもあの目が怒ったらめちゃくちゃ恐いやろな〜と想像できました。

あと、印象に残っているのは高山さんと話している親分が子供の様にニコニコしていたのが印象的でした。

最後にこの様なホンマモンの方にあわせて頂き親分、寅姐さまはじめ関係者スタッフの方々ありがとうございました。
次回も期待しています。



の感想と云えばヤクザ商売も大変だなという事です。
アブナイ(>_<)事をする割に報われない(金銭的に)印象です。
ヤクザ商売を世襲しないとの言葉も大変印象的な言葉でした。私の基本的なスタンスは身分で差別はしない主義ですが、自分に危害を加える可能性有る場合には最大限防御計る。今回の塾で高山氏は任侠の心を熱く語っていらしたが、しかし最近は高山氏が語っている様に「ニューサラリーマン」と任侠の違いは、漠然とは理解出来ますが、現実問題としては今一私の理解の範囲を越えて居ました(^_-)

そして私の高山氏に対する印象は二年前京都地裁での高山氏の証言の時と同じく多くの人間を束ねている人は矢張り迫力が有り、自分の意見を持て居るたとえそれがセケンの常識とは異なっていても自分の信じる所を進んで行くと云う事。彼の警察権力に対する正鵠を得た批判は何時も警察と接触している人にしか出来ないもので、警察の腐敗がどの様な過程で進行して行くか、そして何処に行き着くかを予言して居るようで結構興奮した(-_-)

最後に私の感想は京都の高級ホテルを見学出来て結構ハッピーな気分です、高級ホテルのサービスがどの様な過程と意識で行われるなんと無く解った気がしまし、係員の動きが素晴らしく感銘を受けました。流石に一流ヤクザの元親分は使う施設が違う(^^)
でも誰があんなに高そうな費用を負担するんだろう(^_^)/



は高山さんのお話を自分の経験(ほとんど聞いた話)を思い出しながら聞かせていただきました。

私は8年前に商売をしている人と結婚しました。
結婚後は義母について仕事の手伝い(事務員兼雑用係)をしていました。仕事のいろいろな話を聞いていくと、この家はある仕事をたちあげるときにやめるよう脅迫をうけたことがあったり、土地がらみでいやがらせを受けたり、従業員まで恐喝をうけたりとか、さまざまなトラブルがあったことを話してくれました。それにはヤクザ、在日、被差別の人たちいろんな人がからんだ話でした。

私は争い事が大嫌いで、第一そんな怖いことが起こる(実は何も起こっていないのですが)環境で暮らしてわけではないので、事務所で留守番をすることが怖くて、そんな人達がきたらどう対処したらいいのかわからなくて、自律神経失調症になるほどでした。

そんなことでずっと悩んできていたところ☆しまりす☆さんに「突破者」を薦められて読んでみて、うちを脅迫したやくざさんは依頼された仕事をしたにすぎない、ということがわかったら随分と気がらくになりました。脅迫した本人というのはうちとは親しいお付き合いをしていて、脅迫している間も事務所に来てはお茶飲んだりしてそんなそぶりは一切なかったそうです。

脅迫していた犯人がわかったということで、警察に捜査を依頼していて事情聴取ということになったら、その人の親戚に大阪のどこかの署長がいたようで、事情聴取もせずつれて帰ってしまったそうです。それから一切脅迫はすんでしまったと義母は言っていました。その方現在町会議員さんです。

この事件でヤクザがやったことはただ依頼されて電話したというだけだと思います。
でもなかなか迫力があったらしく、みんな違うところに住んで、義父などは鉄板をおなかに巻いていたと言っていました。

そんな経験をしてきて(私の経験じゃないのですが)、自分の体をおかしくさせた恐怖のもととなったヤクザとはどういうものであるか、どうせならトップの人に会ってお話を聞いてみたいというのが突破塾の参加の動機ともなりました。

高山さんのお話を聞いていて、みんな自分の都合のいいようにヤクザというものを利用してきたのではないか、うちのトラブルでもそうなのですが、ヤクザをちらつかせてうちを思い通りにするため脅かしてやろう、そのよう利用してきたのではないか、そんなことを強く感じました。

私自身、土地トラブルの際、文句をいってきたおじさんが帰り際「○○さん(やくざかチンピラかわかりませんが、地元では怖い人とうわさされている人)によって帰ろう」などといわれたこともありました。あの件だって○○さんは全く知らないことかもしれません。関係のないところで多くのひとがこのような使い方、言い方をしているのではないでしょうか。考えてみればこの○○さんに対してとても失礼なことです。ぜんぜん知らないところで、自分の名前を勝手に使われているのですから。

高山さんが「食べるため、生きていくため」入ったといわれていましたが、私のまわりにも従業員さんや知り合いなど被差別の人がいるのですが、その中のひとりが「ヤクザになったらあかん。ヤクザは親分の命令でいのちもなげださなあかん。自分の子がそんなことになってみいな、どんなに悲しいか」などといわれたことがありました。そのときのそのおばさんの顔はとっても淋しそうでした。「でも、しかたがない」、おばさんはそんなことを言いたかったのかなとお話聞きながら思い出したりしました。

「老いては子に従え」「若い者には体力・気力ともに負ける」
あの話はうちの両親にぜひ聞かせたいことでした。
あんまり年寄りが頑張りすぎると若いものはやる気を失います。全国の老害経営者(ぜひ、読売のナベツネ)に講演してきてほしいような話です。


ゴルフ場のお話は、私も平成元年たったの10ヶ月ですが働いたことがあって、まさにそのとおりでした。メンバー並みのプレイフィーで遊んでおられました。そんなもんだと当時は思っておりましたが、隠れた意味があったのですね。当時、バブル絶頂期で田舎の条件の悪いゴルフ場にもかかわらず、会員券が入社してたったの10ヶ月で6倍になったとき、こんなところは私のいるところではない、そう思い、辞めました。一番狂乱していたのは会社の内部を含めた一般人でした。(今から考えるとそうだった、当時はわからなかった)

私の育った家は大家族でして、なにせ親戚の多い家なものですから、はしばしにはいろんなヤクザさんがらみの経験をした人がいます。ひとつは静岡のほうで小学校の先生をしているものがいるのですが、受け持ちのクラスにその関係の子供さんがいたのだとおもうのですが、「やくざでも立派な人がいる」と言ってその子をかばったのだと思うのですが、えらく喜ばれたとか、などなど・・・・

そんなこんな、いろんなことを思い出したり、今まで起こってきたことのうらを想像したりしながら話を聞かせてもらいました。私は宮崎さんもはじめてお会いしましたが、二人ともカッコイイ!!オーラがあふれていて、まぶしくてまともに私は見れませんでした。いまちょっと心が弱っているので、ちょっとハードだったかな、という感じです。

でも、せっかく縁あってお会いさせていただいたのですから、これからどんな人とも差別することなく分けへだてなく人と付き合っていきたい、人を見るときは当たり前ですが、人から聞いた話や肩書きではなく、自分が会って話してみて、いい人か悪い人か、心のきれいな人か、きたない人か、シンプルに判断していきたいと思います。

とりとめもなく書いてしまいました。文章を書くのは大の苦手で、ほんとお見苦しい文章で申し訳ありません。
以上、感想文にさせていただきます。遅くなりまして、すみません。


ps 必読書を今一生懸命読んでいます。突破者の母 読みました。読みながら、涙が出てきて、特に、しかられるとき、たたかれやすいように体を曲げたというところ、私も母になるのなら、そんなお母さんになりたい。



崎学親分(もう「親分」と申し上げて良いですか。)

 この度は本当にありがとうございました。
 本当に良い会にしていただきまして、ご多忙な中、関西・関東を往復されて事前の打ち合わせ等もきっちりやってくださるマメな親分の仕事のされ方には、毎度のことながら感謝とともにホレボレいたします。
 私達スタッフの今回のコンセプトでもあった薔薇のテーブルとソファセットの「学の部屋♪」にぴったり絵のようにハマってくださり、いやあ、どこにいらっしゃっても絵になる方だと改めて惚れ惚れさせていただきました。
 
 私は、なんと言っても、宮崎親分が父親を慕うようなまなざしで高山会長を見られており、会長は会長で、「こいつの父親と、ワシの親分は兄弟分でのぅ〜。」などと息子や弟をあつかうようなまなざしで話されている雰囲気がなんともいえない、そしていつもとは違った笑顔の(いつもの笑顔ももちろん素敵です)親分が見うけられ、幸せでございました。

 また、高山会長のお話し口調は、やはり同じ関西弁でもカタギとはどこかが違う、「やくざ」という言葉ひとつとってもなんとも言えぬイントネーションで、「うわ、ホンモンや〜。」とただただウットリしておりました。
  
 高山会長は、決して自分の悲哀を武器にしたり、任侠話を自慢される方ではありませんでした。
「在日韓国人だから」とか「被差別民だから」ということを肩肘をはって主張されず、
「そんなんよりも食うていかなあかんかっただけやねん。」
とさらりと流され、むしろ「今カタギのために命はったら当たるがなあ。」とか「ニューサラリーマンやからなあ。」とか「今の世の中、『任侠』では生きていかれへんでえ。」と、言われるその自然体さから、むしろ、ほんもんの「任侠道」を渡られ、あらゆる修羅場くぐってこられた「男」だ、と生意気ながらに思いました。 (「任侠は男の道や。」というセリフもキャーーー♪とミーハー心を多いにくすぐられてしまいました。)

 過去の栄光や修羅場を通った所にとどまらず、ちゃんと「今」を見据えた広い見解をされる、ほんまもんのゴッドファーザーでいらっしゃることも確認。こうゆうヤクザの親分てホンマに居てはるんですね。
 高山登久太郎という男は「ヤクザだって人権はある、その人権を守ってくれ」とは言わない、「ヤクザに人権があるんか無いんか」というところで闘う男だ、と宮崎親分が言われていたことが、本当にうなづけました。
 
 いやあ、それにしましても、ようお話をされるキサクな親玉でいらっしゃいましたよね。服の着こなしも上品で、私の中のヤクザ像の理想であるモミアゲもばっちり決まっており、本当に素敵な方でした。

 今回は、この上なく的を得た指示をしてくださる心優しき寅姐御のもとで、準備の段階から携わることができ、本当に楽しかったです。
 「楽しんでキワドイ遊びをするキツネ目組」にもってこいのイベントでありました。
 これからも楽しみです。みなさん、多いに楽しみましょうね。

 宮崎親分、おつかれさまでございました。
 本当にありがとうございました。


察の悪いこと書いた本が100冊も出てるのになんにも思わない 国民が恐い はっきりうぅて!」と、おっしゃった 高山会長さんの言葉からみんなそうだからとか こういうもんだ とか警察は正義だとか 悪を取り締まってくれるとか、やくざは 悪い!とか新聞にそう書いてあったとか常識は 世間体は、とか まわりから 自分がなるべくはみ出ないように 多数決でいうと多数の方に属していたい。 
そんな風に、知らず知らずのうちに 日本の中で ちっちゃいころから教育されいるような気がしてきました。

自分の目でみて 自分の頭で考えることからはじめなくては と 高山会長と宮崎さんのお話を聞いていて肌でかんじました。

そして 「あんたはあんたの世界で任侠やったらええんや」とのお言葉にも私は 「☆〜☆〜」と反応してしまいました。
やくざにならんでも 私、、乙女(?)でもオッケー!
すべては 本人自分自身の 問題なんだと。

そう考えていくと「警察は楽で辞められない」と自分のふところのことばかり考えて事件を未然に防ぐことなど みじんも考えないで 図書券麻雀をしたりノーパンしゃぶしゃぶで、接待されたり それでなんの問題意識もなく生きていて そのひとは そんな生き方で納得してはるんでしょうか?
是非!!聞いてみたいです。(関西突破塾にお呼びしましょうか?)

塾が終わってから「写真 いいですか?」と 勇気を出してお願いしましたら気軽に、「いいよ」といってくださりとらねーさんと わたしと 3人で写真を撮らせていただきました。
「両手に女の子で うれしいな〜ぁ」と 愛嬌たっぷりに 答えていただきました。
その上 わたしは ちゃっかり「困ったことが起きたら そのときは よろしくお願いいたします。」
「うん うん。よしよし。」と、握手をしていただいた その手は とても 繊細で いくつもの修羅場をくぐってきた方の 手と思えないほどのしなやかさに、わたしは、触れ、本物の強さを 感じずにはいられませんでした。

さいごに、  
私は、準備の段階から参加させていただき というより関西突破塾を はじめる きっかけとなったとらねーの 熱い気持ちからスタートしてまいりまして、、願ってもない 体験をさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。 


宮崎親分 本当にありがとうございました。



らです。
どんどん寄せられる感想文はどれも「ウンウン、そやそや!」と思うもので、出遅れて焦っておりました。遅れ馳せながら、私も感想を述べてみたいと思います。

ああ、ついに実現した関西突破塾。一番最初に申し上げたいことは、宮崎親分への感謝・感謝・感謝の言葉です。
親分の関西組員への思いやりのお気持ちがなければ実現しえなかったこの企画がスタートして、本当にあらためてその優しさに感動しています。
そしていうまでもなく高山会長、一緒にイベントを支えてくれたキツネ目の仲間にも、感謝の気持ちで一杯です。

高山会長が会場にお着きになったと聞き、ご挨拶にうかがうと、数名の方を従えて座ってらっしゃる白髪の後姿。
「失礼します」と声をお掛けすると、同席されてた中のお二人がシャキッ!と立ちあがられ、「会長のお客様」という扱いで接してくださいます。緊張してどもりながら名刺をお渡しする私。
ああ、いよいよ生でお二人のお話が聞けるんやー!と、もうワクワクが全開。

ステージのレイアウトは「乙女組」の発案で「徹子の部屋」ならぬ「学の部屋」状態にしよう、と決めていました。
TM_03.jpg (24248 バイト)ホテルの担当者の方に「徹子の部屋みたいにしたいんです」と言うと、少し笑いながら「あ、そうですか。わかりました。ソファを運び込んで、そういう感じにします」と気持ち良く応じてくださいました。
そしてまさにステージ上は、「関西突破塾」の看板と金屏風を背にした「学の部屋」。司会者席から時折見える宮崎親分のその笑顔、本当にくつろいで、高山会長が気持ち良くしゃべって下さる様子を嬉しそうに楽しそうにご覧になってる、その顔を見たとき、「突破塾」が実現してまず最初の嬉しさがこみ上げてきました。

高山会長のお話で一番心に残ったことはやはり「任侠とは男の道」「男は弱いもんを助けなアカン」というところです。

我が家では父親が「男は自分より弱いもんをいじめたらアカン、女に手をあげるなんて絶対アカン、男いうもんは女とか弱いもんを守ってやるもんや」と子供に教えました。男である弟は、幼い頃から「自分がお母さんと姉ちゃんを守るんや」という意識を持っていました。そして女である私は、その意識ただ一点で、弟を男として「えらいやっちゃ」と思っていました。

「オレは男やから弱いもんや女を守ってやるんや」と思っている男というのは、その能力・体力とは関係なく、ものすごくカッコイイ。
最近は「男なんかに守っていらん」と思う女も多いかもしれません。女が強くなったのか、それとも男が弱くなったのか、その両方なのか、どちらが先にバランスをくずしたのかはわかりません。
でも私は男に守ってもらい、守ってくれる男を誉めて尊敬して愛して、そう、「突破者」に出てくる「男を強くする伝説をつくる女たち」のような、そんな女になりたいなぁと、高山親分の背中を見ながら思っていました。

「朝鮮人・韓国人はヤクザにすらなられへんかった」。
「生きていくために、ヤクザみたいな辛い稼業をせなアカンかった」。
そしてヤクザになったらなったで、弱いものを助け、他人の迷惑にならないようにし、親分のために命を張り、子分のためには質屋にも通い、奥さんと一緒に旅行に行くことすらできないほど「私」を捨てる。
息子さんには継がせたくないと思われるのは本当に当然ですよね。
この日のお話は、今の現役ヤクザの方たちにも聞いていただきたいと思いました。そしてどう感じたかを聞いてみたかった。

夕べ宮崎親分が電話を下さり、「突破塾、大好評やなぁ」と嬉しそうに言ってくださいました。
見に来た皆さん、出演してくださったお二方、そしてもちろん裏方の面々と、かかわった全ての人が楽しい気分になった「突破塾」が「宮崎学」という人がそこに存在していることから生まれたんだ、と思うとこれまた更に幸せな気分になる私なのでした。

もう一つ嬉しいのは、こういったイベントをきっかけに、各地の組員どうしの横のつながりがそこここで出来ていってることです。
みんな宮崎学という「入り口」を通ってきてるんだ、という安心感が、キツネ目イベントでの出会いにはあります。

最後に、関西総本部乙女組のしまりすちゃん、ホタルちゃんに、心からの感謝の気持ちを申し上げたいと思います。私以上に働きながら私を立ててくれる、心やさしき乙女たち。「関西総本部に乙女組あり!」と、私は声を大にして言いたいです!
そして他のスタッフをしてくださった皆さんも本当にありがとう!
突破塾の回を重ねるごとに「テキヤの楽しさ」をわかってくれる仲間が増えていってくれることを願って(^^)、第1回突破塾の感想を終えさせていただきます。

よぉーし、次もがんばるでぇ〜〜〜!!!親ぶーん、はよ次の予定決めましょー!!





しい関西突破塾に参加させていただき、ありがとうございました。
アッというまの3時間でした。

今回,初めて宮崎親分の顔をじかに拝見できてたいへん光栄です。(目がおおてびっくりした。)

じつは宮崎親分はもっとまわりをピリピリさせる雰囲気の人かなと思っていましたが全然ちがいました、会場には参加者に会釈をして入ってきはって、一瞬”アレ!”という感じです。
それに高山会長も、ただの「近所のこわいおっちゃん」という感じぐらいで、ほんまに以外でした。(ほんまは、お二人ともめちゃめちゃ怖いとおもいます。ただし権力側に対して。)

さて今回わたしの思ったことは。

このままいけば日本は本当に恐ろしい国になってしまう、「管理する側」と「管理される側」に決められてしまうように感じています。(管理されてたまるか!)そのような流れを止めるには、やはり組長のいわはるとおり目の前にある盗聴法を廃案にして警察に武器を与えない事やと強く思いました。

♪私は今おもっています明日からもこうして生きていこうと。

「侠(オトコ)を磨かな、あかん!」そして、電脳キツネ目組に入ってよかったと。

寅姐さん以下、スタッフの皆様たいへんご苦労様でした。そしてありがとうございました。
今から、次回を楽しみにしています。

 

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京に戻ってきてばたばたしていて遅くなッてしまいました.
寅ねえはじめ、ほたるさん、しまりすさん、関西キツネ目組のみなさまおつかれさまでした。

ほんまに、あまりの内容の豊富さにあたまはいっぱい、突破塾参加証などのこまやかな楽しさ、心配りに胸いっぱいです。
・・でも、頭いっぱいなどといって宿題サボるわけにいけへんので、おくれてしまったけど、ホンの一部感じたことかかせてもらいます。
でも、なんか言葉で残ってることとか、これこれってまとめるほどあたまにきちんとのこってなくて、からだにしみこんでしもた・・とおもいたいだけかな(^^:)

まず、お話しを聞き終えて、高山さんが社会に対する自分の「役割」みたいなものを強烈にもってらっしゃることに、正直言って驚きました.そして、、そのもとになっているのは、自分の利益などよりまず弱いものを助ける、あたりまえのことやんけという、侠気であり任侠の心なのだな、と頭や理屈でなく、びりびりとつたわってきました。

宮崎さんの著作を何冊も読んでいながらも、自分のなかで、「やくざ」というのはやっぱり実態感をともなわない抽象的なものでした。自分の親戚のおじさんが「やくざ」やとか「あの裏に住んでるおっちゃんやくざやで」とかそういう具体的な感覚がまったくない環境でそだったため、宮崎さんの著作をよんでは「はー、なるほど、かっこええなぁ。」とか「あほやなぁ、でもこんなあほなひと、いまおらんなぁ」とおもたり、一方新聞読んだりテレビみたりすれば、「『暴力団』マンション立ち退き運動か・・。こわいもんなぁ。」
とか、「住専問題の一番の悪玉は『暴力団』?そうかー、やっぱりわるもんか」とか(もちろんそれは一瞬で、「地獄への道はあほな正義でうまっとる」の元のHPをちゃんとよんでべんきょしました(^^:))とおもたり。

自分に実感としてないから、抽象的でどっちかというとマスコミの流す『=暴力団』のイメージでとってもいいかげんだったものが、高山さんのお話をきき、志を感じたことで自分の中で具体的な感触がもてたことは、大きな収穫でした。今回の突破塾に参加しはったひとたちは、そんなこともうしってることなんやろけど、わたしにとっては、あれほど地域、社会のなかでの自らの、そして「組」としての『役割』みたいなものを強烈にもっているということを、実際の「高山親分」からきいて、感じてすごく新鮮なショックでした.

盗聴法のことについても、宮崎さんもいっておられましたが、自分たちは、盗聴されているのがあたりまえであるから、盗聴が法的にみとめられようと、状況は大してかわらない。
しかし、盗聴が法的に認められて、警察権力がシステム的に一般社会に組み込まれていく恐ろしい状況をだまってみているわけにはいかない、というようなことをおっしゃっていました。
もちろん、「一般市民を守るため」にたたかってはるわけではなく、自らの志にしたがって、自分の戦いをしてはるおふたりやけど、盗聴法に関しての戦いは、間接的には「一般市民」をまもることにもなるともう。そんなお二人を「アウトロー」と呼ぶ社会ってなんだろう??

もうひとつ、印象的だったのは、高山さんが、自分ら次の世代に「がんばれよっ」とエールを送ってくれはったことです。(いや、かってに受けとったんかな?(^^:))
「年よりはダメです。自分の利益しか考えられなくなってしまっていいます。」といったうえで、「時代はかわっています。いまは新しいコミュニケーションの手段があり、また新しい人の結びつき方もあり、新しい可能性があるだろう」、ということや、息子さんが市民運動をやってらっしゃることをいわれて、百人規模の小さいものだ、とはいいながらも、その新しい可能性、自分とは違ったやり方を認めてはる、そんな気持ちがつたわってきました。「任侠」の心はどこに所属しているか、などは関係ない心のもち方であるといわれたことも心に、「若い人たち、がんばんなさいよ!」のおことばしっかりうけとりました。

今回、わたしは、お話の、なにどこ、というより、とにかく、会津小鉄といういわゆる「やくざ」の親分の高山さんのお話を直接きいて新鮮なショックとともに、自分の中に具体的なイメージが一つできました。高山さんのようなかたばかりが「やくざ」であるはずもないし、普遍化できるものではないけれど、でも自分の中で自分の実感からきた判断材料をひとつもちました。「やくざ」だけにかぎらず、強烈な個性をもった職業、いろんな自分の「顔」をもった大人がどんどんすくなくなっている今の社会では、自分で判断するだけの材料がないまま、マスコミの流す大量の情報の中で、それをなんとなく、自分の意見のような気になってしまう。
そうやって、いつのまにか、宮崎さんが常々いわれている、「異端を排除する社会」に荷担する「一般市民」の群れができてしまうのではないかな、なんてことをおもいました。

「なぜきれるのか、17歳少年」などといって、いろんなことがさわぎたてられて、子どもが分析されたり「ゆとり」の時間とか、「個性を活かした学校教育」なんていっているけれど、そんなことより、子どもがまともに育つ条件は、高山親分や、宮崎さんのような(とまではいけへんけど(^^:))
自分の顔、志をもったいろんな大人がおって、自分の生き方をしてるかっこええ大人がいることじゃないかなとおもいます。

レポートというより、突破塾を終わった後の私的な感想文みたいになってしもて、すいません.
こんなんもとめられてんのちゃうやん、とおもいつつ、あの突破塾でのお話を自分の中でどんなふうに消化していくのかなんとなく形つけたくて、かきました。次回突破塾は準備段階からかかわっていけたらとおもいます。ほんとうに、充実した時間をありがとうございました。

 

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