]タイにおける偽ドル事件裁判の概要^             1999.5.11 更新


 タイのチョンブリ地裁で続けられてきた“偽ドル”裁判は、1999年4月27日に
弁護側証人調べが終わり、田中義三氏の
最終意見陳述が行われた。5月10日の最
終公判では、判決期日が6月23日(水)午前9時と決められた。

 私たち児玉章吾・田中義三両氏の支援者は、この“偽ドル”事件がアメリカ財
務省シークレット・サービスを中心とするでっち上げと確信し、6月23日の判決
が全面無罪判決になることを強く期待しているが、極めて政治的な事件であるだ
けに、今後どのような突発的な事態が起こるかもしれず、油断できないと考えて
いる。

 両氏が原告となって日本のマスメディアを名誉毀損で訴える
民事訴訟は、当面
「テレビ朝日」(ザ・スクープ)および「日本電波ニュース社」(虚報番組制作
会社)および「高世仁」(同番組責任者)の三者を相手に進められているが、問
題の番組
『北朝鮮の闇 ニセドル“スーパーK”の謎を追う』が、いかにアメリ
カSSからの情報を鵜呑みにして、当然判明していたはずの事実を無視し、調査
すべきこともせずに制作され、北朝鮮バッシングの社会的風潮に悪のりした商業
主義番組であったかが、ますます明確になってきている。

1.事件の発端

  1996年1月2日に、タイ南部のリゾート地パタヤ(ベトナム戦争時代にアメ
リカ兵の休養地だったところ)のフォト・ショップで営業している無認可両替店
で、アメリカの 100ドル札90枚がタイバーツに両替されたという。その両替商
は、あとになって知人からその 100ドル札が偽札だと指摘されて、両替に来た二
人のタイ人を探し出したところ、デイナイト・ホテルのガードマンであることが
判明し、1月5日になって警察に訴え出て、二人のガードマンが逮捕された、
ということになっている。

  これが、合計7人となる被告人児玉氏は分離裁判で実刑の禁固2年半が確定
し再審請求中、田中氏を含む6人が併合されてチョンブリ地裁で今回結審、に
対する“偽造外国通貨所持・行使/詐欺”という起訴事実になるわけだが、さま
ざまな疑問点が浮かんでくる。

  タイでは偽ドルは珍しくなく、けっこう流通さえしているというのに、この
両替商はどうして偽であることに後日になって気づいたのだろうか? どうして
そのまま流通させてしまおうとはせず、わざわざ損を覚悟で警察に届け出たのだ
ろうか?偽札であることを知人に指摘されたというが、その知人が誰かは明らか
にされていない。二人のガードマンは、90枚の 100ドル札を三回に分けて同じ日
に両替したというが、当初は外国人に頼まれたと供述していたという。外国人
が、相当の大金をホテルのガードマンに両替させるだろうかとの疑問が生まれ
る。二人は、あとでは実はホテルの営業マネージャーに指示されたもので、偽札
であることは知らなかったと供述を変更するのだが、不自然さはまだ残る。デイ
ナイト・ホテル自体、あとで両替商になにがしかの金を支払って、事件のもみ消
しを図ったともされており、いずれにしろ、事件の発端そのものに多大な疑問が
あって、現在までのところ解消されていない。

  二人のガードマンが逮捕された後、2週間くらい、パタヤ警察の捜査は進展
していなかったように記録されている。二人が、偽札であることを知らないで両
替を頼まれただけなのであれば、頼んだ上司への捜査が進展しないまま2週間も
経過するのはなぜか? 全く逆に、二人が両替したドルは真札であって、事件は
すべて後で作られたという可能性もないわけではない。

2.アメリカSSの介入

  東南アジア、とくにカンボジア方面から各国に流入するといわれている偽ド
ル札について、アメリカは神経を尖らせており、タイのアメリカ大使館にはSS
の担当者が常駐している。中国系アメリカ人やタイ人をアメリカで教育して大使
館付きの捜査官にして、各国警察と協力関係をつくって来たという。協力関係と
いっても、明らかにアメリカがヘゲモニーをとって積極的に偽札摘発をおこなっ
て来たのが実情だ。アメリカは、 100ドル札の印刷を新型に切り換えた時期で、
その新型ドル札の説明を兼ねて偽札摘発の技術的講習をタイ警察に行うため、ワ
シントンからSSの偽札摘発部門の責任者がタイにやって来たという。それが、
1996年1月18日とされている。

  そこで、タイ警察側から、パタヤでの偽札行使事件のことを知らされ、SS
が動きだしたことになっている。

  SSは、二人のガードマンに会おうとしてチョンブリ刑務所(パタヤはチョ
ンブリ県にある)に行ったが、すでに一人は保釈されていたという。SSは独自
に調査を始め、ガードマンの二人は偽札であることを知らずに頼まれただけとい
う供述に基づいて、この二人は無罪になるべき者だから保釈してほしいという趣
旨の書類をチョンブリ裁判所に提出している(2月2日付)。捜査の途中で、ま
だ共犯者の全部が逮捕されていないうちに、二人が無罪だと断定するSSの態度
は奇妙というしかない。

  二人の身柄を確保したSSが、この二人にどういう条件で何をさせたのか詳
細は不明だが、いずれにしろSSが介入したあとになって、この二人に両替を指
示したというホテル営業マネージャーが逮捕される。ホテルのマネージャーは、
すでに欠勤を続けており、ホテル支配人が捜し出して電話で呼びつけたというよ
うな証言も残っている。一方、パタヤ警察の捜査官がデイナイト・ホテルに行く
と、そのマネージャーが自分の事務机で新聞を読んでおり、その新聞の下に5枚
の 100ドル札があって、それは偽札であり、かつ、そのマネージャーの自宅から
80枚もの偽 100ドル札が発見されたという証言もある。ところが、この5枚と80
枚の偽ドルに関しては、 100キロ以上も離れた場所で、同じ日同じ時に同じ警察
官によって摘発されたという決定的矛盾をもつ書類も作られており、どちらかが
でっち上げであることが明白だ。検察側の証拠・証言の信憑性をくつがえすもの
となっている。
 
 
  ちなみにこのマネージャーに関して、5枚の偽ドルは別に起訴されたが、そ
の裁判は検察側のサボタージュによって停滞しており、80枚の所持については起
訴されていない。日本では考えられないことだが、この80枚など共犯者たちが所
持していたという偽札は、証拠品になっているがすべて起訴されていない。起訴
になっているのは、パタヤでの90枚の「行使」だけ、そしてその“いもづる式”
「共同謀議」だけなのである。〔5月10日の情報によると、ホテル・マネー
ジャーは、5枚の偽100ドル紙幣につき4月27日に無罪の判決を得たという。〕
 
3.“いもづる式”捜査

  ホテル・マネージャーの逮捕後の「供述記録」は、1996年1月24日付だが、
実際はもっと前、1月21日頃には逮捕されたと考えられる。彼は、アメリカSS
が宿泊しているホテルに監禁されたらしい。妻も監禁された形跡がある。彼は、
ホテル8階から外壁をつたわって逃げようとして再び捕まってしまった様子だ。
後述のとおり、児玉氏に対するアメリカSSの拷問は相当のものだったから、ホ
テル・マネージャーに対しても拷問があったことが十分に推測できる。彼は、偽
札とは知らずに知人のN氏からドル札を受け取って両替させたと供述した。


  アメリカSSの捜査は、適正手続きを無視した強引なものだ。アメリカ財務
省のシークレット・サービスは大統領警護で知られているとおり、通常の警察以
上の権限をもっているという。アメリカの象徴(紙幣)を守るためには何をやっ
てもよいとされ、すべては秘密のうちに行われるのが当然ということのようであ
る。今回の一連の捜査でも、タイやカンボジアの警察との協力を建前として、書
類上も協力依頼のようなものは一応なされたことになっているが、実際にどうで
あったか、関係者に聞いてみると、ほとんどSSが前面に出て強引な捜査をやっ
ており、書類は後で作られた形跡がある。タイ警察や日本大使館には情報を与え
ず、アメリカの都合で事を運ぼうとさえした。SSが強大な権限をもっていると
いっても、各国の主権とは当然ぶつかるはずなのだが、一応の形式だけは整えた
かたちで、チョンブリ地裁での裁判は続けられてきた。


  テロリスト対策などと称して、ICPO(国際刑事警察機構)とか、条約に
よる司法共助とか、はたまた国連の各種委員会レベルなどで、とかく警察の国際
協力という大義名分が罷り通る時代であるにしても、それぞれの国の法律があ
り、また、さまざまな国際人権条約があり、アメリカはその“人権”の旗頭を自
認して他国を恫喝してさえいるにもかかわらず、自国のSSが途上国で人権・法
律無視の拷問捜査をやっているのだから、これほどの欺瞞はない。

  ホテル・マネージャーは、アメリカSSに協力を誓わされて、1月24日に盗
聴用無線機を身体につけさせられて、しかも百枚近くの偽ドル札を持たされて、
知人のN氏の家(バンコクのドンムアン空港近く)に案内させられた。そして、
その偽ドル札をN氏に渡そうとしたというのである。N氏の家族があわてて、そ
の偽ドル札を破ってトイレに流したところに、SSはピストルをふりかざして押
し入り、トイレのコンクリートを壊して破れた偽ドル紙幣を押収していった。と
ころが、その日にはN氏は逮捕されていないのである。破れた80〜90枚の偽ドル
札は、証拠品になっているが、この偽札の「所持」では誰も起訴されていない。
当然だろう、SSが持ってきた偽ドル札なのだから。

  N氏については、1月25日に逮捕状が出たことになっている。2月の初め、
バンコクの北方スリン県という農村地帯にある妻の実家に行っていたN氏は、タ
イ警察によって連行され、警察ではないところに監禁され取り調べられた。N氏
は、2月7日になって正式に逮捕されたことになっている。N氏の場合、妻も監
禁され、妻を釈放してほしかったら協力しろ、アメリカに連行すると脅迫され
た。2月12日付のN氏の「供述書」によると、N氏は自分のかつての雇い主であ
るR氏と、その知人であるコダマ氏の名前を出している。1995年の11月ころにR
氏とコダマ氏からドル札を預かり、パタヤの知人に両替を依頼したという内容で
ある。N氏も盗聴用無線機をつけさせられ、R氏と会ってドル札の話を持ちかけ
ようとし、警戒したR氏が車で立ち去ろうとした時に、N氏は偽ドル札の束をR
氏の車に投げ込んだという。当然SSは、そこでR氏の身柄を確保したのであ
る。しかし、R氏の逮捕は書類上では後日となっている。
R氏は、カンボジアにいるコダマを呼びつけろ、協力すればビジネス上の利益を
保証してやるなどと脅迫されたという。

4.児玉章吾氏の逮捕

  カンボジアのプノンペンにいた児玉氏に、バンコクのR氏から電話してきた
のは2月8日だった。児玉氏は、ちょうど9日にバンコクを経由して日本に帰る
予定だったので、9日にバンコクの空港でR氏と会う約束をした。それが、児玉
氏にとって、晴天霹靂の悪夢となるのである。

  9日、空港でR氏は盗聴用無線機をつけさせられ、児玉氏を迎えた。ドルの
話になるまでもなく、異様なR氏の言動に児玉氏が奇異を感じた時に、大勢の
SSなど(タイ警察も混じっていたのであろう)に囲まれてしまった。連行され
たところは警察ではなく、ホテルでもなかった。SSの秘密のアジトなのであろ
う。児玉氏と空港で待ち合わせていた別の知人も連行されて、酷いめにあったと
いう。その人は即日釈放された。

  SSは児玉氏のパスポートをはじめ全ての所持品を押収した。その中には四
千何百ドルかの米ドルもあったが、偽ドルではなかった。SSは、所持品の中に
あった写真をもとに、写っているのは誰なのかを尋問してきた。その写真のなか
に、「ハヤシ」こと田中義三氏の写っているものがあった。児玉氏は、「ハヤ
シ」とは意気投合して事業を一緒にやっていたので、「ハヤシ」が「よど号」の
田中とは知らなかった。

  SSは、「ハヤシ」をタイに呼び寄せろと要求した。協力しなかったらハワ
イに連行して生涯獄中生活をおくらせてやる、日本の家族の生活、お前の商売を
メチャメチャにしてやる、お前は死ぬのがこわくないのか、などと脅迫した。

  SSは、児玉氏から得た情報を追って、翌2月10日または11日にプノンペン
に主要なメンバーを送り込んでいる。プノンペンの児玉国際貿易株式会社の事務
所にSSがやってきて、強引に入り込んだ。「ハヤシ」こと田中氏が応対し、
SSは携帯電話でバンコクの児玉氏と「ハヤシ」に会話をさせ、それを盗聴・録
音していた。そのテープのコピイは裁判の証拠とされて、当初は偽ドルについて
の会話だったとされていたが、法廷で聞いてみると、日本語で児玉氏が、バンコ
クでトラブルになっており、「ハヤシ」もバンコクに来て協力してほしいといっ
たことを会話しているだけで、偽ドルの話など全く出ていないしろものだった。
しかし、このSSの訪問は、「ハヤシ」こと田中氏にとっては、偽ドルどころ
か、ハイジャックのことで国際手配が及んできたかと危機感をつのらせる出来事
だった。SSの証言によれば、「ハヤシ」はパスポートを探してくると言って席
を立ち、そのままプノンペンのいずこかへ逃走してしまった。

  SSは「ハヤシ」に逃げられて、とんだ大失敗ということになったのだが、
あとから、実は、「ハヤシ」が逃走した後、児玉国際貿易の事務所を捜索し、事
務机の引出しの中から、大量の偽 100ドル札を発見した、その1239枚といわれ
る札束の中には、1枚だけ真札があり、またその真札を除く1238枚のうち6枚か
ら指紋が検出され、その6枚のうちの1枚から1個だけ、「ハヤシ」こと田中義
三の指紋(右人指し指)と一致する指紋が検出された、とし、「ハヤシ」をタ
イ・チョンブリ地裁に起訴した。しかし指紋に関する証拠類は、裁判開始後しば
らくしてから裁判所に提出されているのである。

  この引出しの中のドル札については、あとの証言で、一人のSSは「ハヤ
シ」の逃走後再び携帯電話でコダマと話をしてコダマが引出しにあるはずだと
言ったので捜索・発見したと言い、別のSSは、バンコクでコダマからあらかじ
め引出しの中のドル札について聞いていたので捜索・発見したと言い、大きな矛
盾をきたしているが、いずれにしろ、押収の手続き書類は残されておらず、現場
検証の記録などもない。裁判が始まってから、その1239枚の札や指紋検査結果な
どがチョンブリの検察官から裁判所に提出されたのである。「ハヤシ」の指紋
カードを含めて、偽ドル札からの検出指紋にも多大の疑問点があるが、これは別
に論ずることにする。

SSは、プノンペンの児玉国際貿易から「ハヤシ」を取り逃がした後、この「ハ
ヤシ」が「よど号」の田中義三であることに気づき、いろめきたつことになる。
ちょうどアメリカが外交交渉の中で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に対し、
「よど号」メンバーを日本に送還せよと要求を出していた時期だった。SSは、
「ハヤシ」を北朝鮮バッシングの材料として使えると踏んで、強引に逮捕しよう
とする。バンコクの児玉氏に対して、SSの取り調べは過酷を極めた。児玉氏
は、身体や腕などにコイルのような電気装置をつけられて、電気を流されたとい
う。それは、感電して苦しいというよりは、じわじわと神経がおかしくなるよう
な拷問で、児玉氏が、これは何だと尋ねると、嘘発見器だと答えたという。この
電気にかけられた結果、児玉氏は精神的におかしくなっていった。下痢もひど
かった。孤立無縁の中での無力感・恐怖感・絶望感が増幅し、どうにでもなれと
いう投げやりな気持ちにもなったという。児玉氏のこうした精神状態は、その後
も長く続くことになる。
 
  書類上、児玉氏とR氏の二人は、「ハヤシ」がプノンペンで逃走後の2月13
日にバンコクのホテルの前で逮捕されたことになっている。


  裁判には、R氏の「供述書」一通と児玉氏の「供述書」として三通が提出さ
れている。R氏のものは書類上の逮捕当日2月13日付で、コダマから「ウオン」
という男を紹介され、その「ウオン」からの偽ドルを部下のN氏に両替させたと
いう内容である。児玉氏の「供述書」は、2月13日付のものに「ハヤシ」の名前
は出てこず、「ウオン」から偽ドルの話を持ち込まれ、タイのR氏およびN氏に
取り次いだという内容になっている。2月15日付の「追加供述」では、「ウオ
ン」の他に「タン・トーホック(ロンニー)」そして「ハヤシ・カシノリ(シロ
カギ)」なる人物の名前が出されている。もうひとつの児玉供述書は2月23日付
で、児玉氏が自分はタイイ語がわからないというので、ハワイから呼び寄せた
SSの通訳が日本語をローマ字で書いて児玉氏に署名させたというもの。その
ローマ字の日本語に、タイ語の訳をつけたものも出来ている。これは、「ハヤ
シ・ヒロアキ」「ウオン・リ」が偽ドルの話を持ち込んできて、タイのR氏およ
びN氏に取り次いだという内容。

  なお児玉氏は、1998年10月と12月の田中氏らの法廷での証言において、これ
らの「供述書」を全面的に否定した。また、注目すべきことは、前述したプノン
ペンの児玉国際貿易の机引き出しから発見されたという1238枚の偽 100ドル札の
ことは、これらの児玉氏「供述書」には全く記載がない事実である。児玉氏への
取り調べの中でも、その話は全く出なかったというのだから目茶苦茶である。ア
メリカのSSから、ひどい拷問を受けて何通かの「供述書」をとられた児玉氏
は、身柄をパタヤ警察署、そしてチョンブリ刑務所に移された。2月27日になっ
て、日本から駆けつけた児玉氏の息子さんの奔走もあってか、タイの法務当局
は、児玉氏に関して証拠はないという判断をして釈放した。SSは、児玉氏の釈
放を知って非常に怒ったとのことだ。児玉氏は、旅券返還も受けられず、1年3
か月後に再逮捕されるまで、タイ国内で苦しい潜伏生活をよぎなくされる。

5.田中義三氏の逮捕

  1996年2月初旬にプノンペンで姿を消した「ハヤシ」こと田中義三氏を追っ
て、アメリカのSSは捜査を続け、カンボジア内務省にも根回しをしていった。
3月24日になって、プノンペンの北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)大使館から
車でベトナムに脱出しようとした田中氏は、国境で押さえられ、翌25日プノンペ
ンに引き戻されて身柄を拘束される。共和国大使館は、田中氏を引き渡す理由が
ないと抗議したが、カンボジア内務省は強硬で、どうにもならなかったらしい。
この逮捕は、国際法上、違法性が強いが、一応はカンボジア警察が行ったことに
なっており、タイのパタヤ偽ドル行使事件での逮捕状も用意されていたことに
なってはいる。しかし、実際の書類の整合性(バックデートは十分に考えられ
る)、また国際法上の問題点などについては、徹底した検証が必要だ。
 
                
  26日には、法的手続きなしのまま田中氏はバンコクのドンムアン空港に移送
された。アメリカSSは、田中氏をそのまま直接アメリカに連行する構えだった
が、いくつかの事情で果たせず、田中氏の身柄をタイに預けることになった。だ
が、それ以降しばらくの間、アメリカに連行して裁判にかけるか、ハイジャック
犯人として日本に移送するか、タイで偽ドル犯として起訴するか、三つの選択肢
をめぐって大きく揺れた形跡がある。

  田中氏は、アメリカのSSがカンボジアやタイではどんな非合法なことでも
やるという権力の横暴さを実感し、命の危険さえ意識したという。しかし、彼は
「供述書」などは作成させなかった。27日にはパタヤ警察署に移送された。ここ
で、彼は「ハヤシ」のままでは物理的に抹殺されてしまうかもしれないと考え
て、パタヤ警察署内で顔を合わせた日本のテレビ局記者に、自分が「よど号」の
田中義三だと名乗り出たという。

  「よど号」の田中義三氏逮捕が、世界に報道された。当時の報道によれば、
田中氏はプノンペンでビジネス活動をしており、その協力者は日本国籍を持つ華
僑の、かっこ付き「児玉章吾」であり、行方不明となっている。北朝鮮の偽ドル
をマネーロンダリングするための活動をしていたのではないか、というもの
で、児玉氏については何か怪しげな人物という報道のされかただった。

  結局田中氏は、チョンブリの検察官によってパタヤの90枚の偽ドル行使/詐
欺事件で起訴され、5月にはホテルガードマン二人の事件との併合が決定し、田
中氏は裁判の中ではあくまでも「ハヤシ」こと「被告3」と呼ばれることになっ
た。ホテル・マネージャーが「被告4」、前記のN氏が「被告5」、同じくR氏
が「被告6」である。田中氏以外の被告人は、すべて保釈された。裁判は、1996
年5月24日第1回公判、6月14日パタヤ事件の被害者・両替商の証言から開始さ
れた。

6.児玉氏の裁判

  田中氏らの裁判開始から一年後の1997年6月6日に、児玉氏は、またもやア
メリカSSによって再逮捕される。

  児玉氏は、移送されたチョンブリ刑務所で1年4か月ぶりに田中氏と再会、
生きて会えたことを喜び合った。田中氏は、当時の児玉氏について、精神的に異
常ではないかと感じたという。それほどに児玉氏は抑圧されつづけたのである。
児玉氏は、潜伏中にテレビで田中氏の逮捕を知り、しかもハイジャック犯人であ
ることを初めて知って、非常に驚いたという。

  児玉氏は、弁護士も通訳もなく、本人の発言の場も与えられずに、判決理由
の説明もないまま即決裁判で、7月23日に禁固2年半の判決を受けた。弁護士や
日本大使館の援助も全くない状態のなかで控訴の機会も失い、確定してしまっ
た。1997年8月14日になって、児玉氏は再審を請求している。そして9月11日に
は、検察側証人として田中氏の公判廷に呼ばれたが、児玉氏は断固として証言を
拒否した。その直後から、児玉氏はチョンブリ刑務所からバンコク中央刑務所に
移送されて、田中氏とは連絡ができないようにされた。

  児玉氏は、「ハヤシ」こと田中氏から本当の身分を聞かされておらず、ハイ
ジャック犯人であることを知らずにビジネスを一緒にやろうとしていたのだか
ら、普通ならば騙されたと思って田中氏とは絶縁しようとするだろう。ところ
が、児玉氏と田中氏との友情は強く、不信感を払拭して、二人で共に冤罪とのた
たかいを決意することになる。この二人の信頼関係、なかんずく児玉氏の田中氏
への強い友情が、その後の裁判の経緯とともに、強力な支援者を獲得していくこ
とに繋がっていく。面会した者は、児玉氏の人柄に強くひかれて、そのままにし
ておけなくなる。今日、支援は大きく拡がっているが、その多くは「田中・児玉
両氏の支援」と言うよりも、「児玉・田中両氏の支援」を意識して動いているの
である。児玉章吾氏は、カンボジア生まれの華僑で、若い頃に日本に留学し、日
本人女性と結婚している。カンボジアでは富裕な一族に属し、王室や高官関係に
知己が多く、木材業など手広くビジネスを展開していた。1975年4月ポルポトの
権力掌握の際に家族とともに脱出し、難民となって日本にわたり、汗水流す努力
が実って、異例の早さで日本国籍を獲得した。家族は日本にいて、息子さんはビ
ジネスマンになっている。

  1993年の国連管理下のカンボジア選挙の後、再びプノンペンに入り、「ハヤ
シ」こと田中義三氏と知り合い、意気投合して児玉国際貿易株式会社を立ち上げ
た。レストランやカラオケ店も共同経営していた。日本では民族差別にも会った
ことがあるが、日本を愛し、カンボジアを愛する豪傑肌の国際人である。児玉氏
の日本にいる家族は、田中氏逮捕に引き続く一連の報道で、大変な苦境に追いや
られ、とくに日本電波ニュース社が制作したテレビ朝日の番組では、同情するふ
りをして接触してきた高世仁らに騙されたと憤慨している。

  児玉氏は、タイを中心に商売をやっていたR氏とは同じ中国南部の潮州出身
で、三十年前からの知り合いだったが、とくに親しくしていたわけではなかっ
た。事件の起こる前に、R氏がカンボジアに輸入しようとしていたタバコが税関
に引っ掛かって動かせなくなり困っているという話を持ちかけられ、児玉氏がR
氏に代わって税関当局と交渉し、しかるべき資金も提供してタバコを引き出し、
それを売りさばくことを始めていた。R氏には、タバコが売れた場合に最初の仕
入れ価格に相当する分の金額を支払うという約束だった。その他、材木に関する
商売の話もあって、1995年の11月頃、バンコクのホテルで商談をしたことはあ
り、その際にR氏の部下としてN氏も同席したという程度で、偽ドルの話などは
全くなかったという。「ハヤシ」こと田中氏は、自分が「よど号」のメンバーで
あることを伏せて、ビジネス活動としてプノンペンに来ていたので、タイには一
度も入国したことがないと証言している。アメリカSSの証人も「ハヤシがタイ
に入国した証拠はなかった」と公判で認めざるを得なかった。

7.田中氏らの裁判

  偽ドルを両替したとして起訴された二人のホテル・ガードマンは663/2539号
事件として裁判にかけられ、それぞれ「被告1」「被告2」と呼ばれている。現
在「被告3」と呼ばれている「ハヤシ」こと田中義三氏は 1105/2539号事件、
「被告4」のホテル・マネージャー、「被告5」のN氏、「被告6」のR氏の3
人が 1227/2539号事件となり、三つの事件が併合されている。彼ら六人のチョン
ブリ地裁での裁判は、タイでは記録的な長期裁判(3年間以上))になって今日
に至っている。田中氏は、ずっとチョンブリ刑務所に在監したままだが、逮捕後
1年くらいしてペルーの日本大使館占拠事件直後から、両足に太い鉄製の鎖をは
めさせられ24時間外すことを許されなくなった。足鎖は、タイでは殺人などの粗
暴犯人にはつけるらしいが、偽札事件でつけさせられることはないという。田中
氏は、一時金属アレルギーで足がただれるような状態となり、また、夜寝るとき
にもつけたままなので寝返りもできず、慢性的な睡眠不足の状態が続いていると
いう。また、タイの食事に慣れることができず、田中氏はだいぶ体重をへらし
て、健康が憂慮されている。足鎖は、いずれにしろ奴隷状態そのものであって、
人権上重大な問題がある。支援者が日本大使館に善処を要請しても、タイへの内
政干渉はできないと、そっけない返事しか戻ってこない。日本大使館は、田中氏
の身柄を日本に送還させてハイジャックの裁判にかけることに最大の関心があ
り、在留邦人の保護という本来の目的を放棄したまま、警察から出向してきてい
る領事などに毎回の公判を傍聴させるだけである。

  田中氏は、今年3月29日に、足鎖の問題をチョンブリ地裁に提訴し、裁判所
はこの問題を憲法裁判所に持ち込むことを決定した。その結果、チョンブリ刑務
所では足鎖を付ける基準を変更し、多くの未決囚の足鎖がはずされた。田中氏自
身の足鎖は付けられたままだが、囚人から田中氏は感謝されているという。
詳細は別の報告を参照してほしい。

  1996年5月から始まった公判は、検察側立証に一年半をかけ、98年から弁護
側立証に入った。「被告1,2」の弁護側証人調べがあって、「被告3」田中氏
の弁護側立証が98年6月から続き、99年に入って「被告4・5・6」に関する弁
護側立証が並行して行われた。どの被告も、アメリカSSの捜査の酷さを訴え、
偽ドルへの関与を否認した。

  アメリカSSに脅迫・拷問されて、R氏およびN氏の「供述書」に、偽ドル
がらみでコダマの名前が出ている。そして、児玉氏の「供述書」なるものにも、
ハヤシの名前が出ている。裁判では、唯一の物証である「指紋」と、これら拷問
によって取られた「自白」が争点ということになる。

8.指紋の問題

  私たち田中氏の支援者は、当初よりこの指紋に疑問を提起してきたところだ
が、昨年12月の公判において裁判所も特別の関心を示し、あらたに田中氏の指紋
を法廷内で採取し、証拠となっている指紋の写真撮影も許可した。私たちは、そ
れらの資料を日本に持ちかえり、さまざまな検討を加えたところ、複数の鑑定意
見書・報告書にまとめることができた。

   証拠として、あまりにも杜撰なこと

   プノンペンの事務所の机の引き出しから押収されたというが、その押収手
続きの書類は一切なく、立会人はむろんのこと、現場写真もない。シークレッ
ト・サービス捜査官が、後日になって話しただけである。そもそも、その机は、
事務所の人々が共同で使っていた机で、鍵がかかっていたわけでもなく、大切な
ものをしまっておくような机ではないとのことである。しかも、この偽ドル札に
ついては、現在進行中の裁判において起訴もされていないのである。単なる状況
証拠の一つにすぎない。

 指紋検査があまりにも杜撰なこと

   発見されたという 100ドル札1239枚のうち1枚だけあったという真札は、
指紋検査が行なわれていない。また、最も指紋がつきやすいと考えられるビニー
ル袋(その中に1239枚があった)の指紋検査もされていない。誰の指紋か判別で
きなかったという5枚についての検査日は、1996年4月5日で、田中氏の指紋と
された1枚の検査日は、同年6月8日となっている。また、その5枚と1枚の証
拠物に付けられた“ケース・ナンバー”が異なる。5枚の方は「Case# 119-711-
1106」、1枚の方だけが「Case# 429-711-19600-6 」。2月初旬に押収して、ア
メリカ本国に送ったというが、4月・6月の検査とはずいぶん遅い。5枚と1枚
の扱いが別々なのはなぜか? しかも、田中氏の指紋検出だけが4か月も遅いの
はなぜか。田中氏の裁判は、5月には始まっている。田中氏の指紋だけが、6月
になって検出されて、遅れて法廷に提出されるなどということが許されていいは
ずがない。

   これら指紋検査の経緯についてのSS捜査官の証言がまた、いいかげんな
もので、矛盾だらけである。誰が、どのようにしてアメリカ本国に送り、何月何
日に、どの資料を受け取って、どのような検査を実施したのか、すべてにわたっ
て矛盾が多い。


 U 指紋カードの杜撰さ

   上記の偽札から検出した指紋と照合したという田中氏の指紋カード(FBI
方式のもの)は、氏名欄は「HAYASHI, SHOJI」、生年月日欄は「36年07月09日」
となっており、この林正二氏が実在する日本市民(生年月日が全く一致)で、事
件当時タイに観光旅行していたことが明らかとなった。そのご本人が、知らない
間に自分の名前や生年月日が利用されたことは不当だと、1998年9月の公判で証
言した。逮捕された当時、田中氏が「ハヤシ」と名乗っていたからといって、10
歳も年齢の離れた別人の名前と生年月日を使うのは、あまりにも杜撰だ。児玉氏
の供述書には、ハヤシの名前として、カシノリ/シロカギ/ヒロアキは出てくる
が、ショウジは出てこない。
   ちょうどその頃、オウム真理教の林泰男氏がタイに潜伏しているのではな
いかという噂が飛び、日本の警察はやっきになって各国警察に手配を依頼してお
り、その関係もあって、林正二氏の出入国記録もタイでリストアップされていた
のではないかとの推測が成り立つ。
  
  
                  
   またカードには、記載をホワイトで消した部分がある。なぜ消したのか?

 指紋の付きかたの問題

   偽札から検出されたという指紋は、指先が欠けているわりには、指の関節
付近まで印象されている。指紋の方向と場所を考慮しながら、紙幣を手でさわる
場合のさまざまな触れかたを想定してみても、このように指先は触れることな
く、指の関節の方を中心に触れることは考えられない。しかも、検出された隆線
は非常に太く明瞭で、かるく触れたというよりは、ぐいとある程度の力を加えて
押捺したように見える。

  “指紋一致”とは?

   アメリカ財務省の指紋検査専門家というドナルド・C・サーファイトは、
チョンブリの裁判所で1996年8月1日に証言し、透明フイルムに拡大した2つの
指紋画像を重ね合わせて、このように一致していると説明したが、そもそも指紋
の画像は、そのようにピッタリと一致するものなのか?私たちは、日本において
指紋に関する基本的な文献を調査した。代表的な文献には、次のとおりの記載が
あった。

   「一般にドラマ等では、指紋同士を重ね合わせる重合法による鑑定が見ら
れますが、現実にはこの重合法は実施されていません。その理由は、指の表面は
柔らかいため、押圧力の加減・方向によって収縮するし、子供時代と大人では指
の大きさが異なるため、重ね合わせてぴったりと一致するとは限らないからで
す」私たちは、この点に着目し、専門家に依頼してあらゆる観点から資料を検討
し、実験を繰り返した。

   人間の指は、柔らかく弾力があるため、1人の同じ指の、同じ条件で同じ
時に付着・押捺された指紋でも、拡大して精密に重ね合わせてみると、基準とし
た特徴点の近くでは一致するが、少し離れるとずれてくるのである。田中氏のも
のとされている指紋カード( FBI方式)に押捺されている同じ指でも、回転押捺
指紋(カード上で指を横に回して押捺したもの)と平面押捺指紋(カードに指を
平らに当てたもの)とでは、完全にずれる。付着・押捺の際のちょっとした力の
加減・力の方向で、指紋の形は歪み、伸びたり縮んだりするのである。

   別の人でも実験してみたが、同じ指の指紋の形が完全に重合することは、
無いのである。それほどに、人間の指は微妙なのである。だからこそ、指紋鑑定
においては、指紋の凸部(隆線)を検査して、途切れているところ、分岐してい
るところなどを相互関係において確認する(例えば渦巻きの中心から何本目の隆
線が分岐しており、その先で途切れているならば、その分岐を1つ、途切れを1
つと数える)手法で、固有の特徴点を数えあげ、その数が、あらかじめ決められ
ている数を満たせば、そこで初めて一致の結論を出すことになっている。日本・
アメリカ・ドイツなどは12点、イギリスは16点、フランスは17点が一致する必要
があると決められている。私たちが日本で依頼した指紋の専門家(元警察の鑑識
部門に勤務)は、上記のドナルド・C・サーファイトの検査において、偽札か
ら検出した指紋と指紋カードの指紋は、9か所で一致したとされているが、その
うち2か所は、隆線の特徴点として挙げることはできない、と「意見書」を書い
てくれた。つまり、その2か所は隆線の途切れや分岐ではなく、単に少し太く見
えるだけだというのである。そして、他の機会に採取された田中氏の右手人指し
指の同じ部分を精密に検査して、その太く見える部分は、押捺の際にインクが多
く付着した部分に過ぎないと説明してくれた。特徴点が7か所では、一致とは言
えない。一方、偽札から検出されたという指紋と、指紋カード( FBI方式)の右
手人指し指の指紋をパソコンに取り込んで、同じ大きさに拡大して精密に重合さ
せてみると、あまりにもピタリと一致するのである。形にずれがない。しかも、
カードに印刷されていた文字の部分が、札の方では切れている。インクの「む
ら」と考えられるものが両方に見られるのである。

   私たちは、化学の専門家に依頼して、人工的な無色の皮膚分泌物(汗な
ど)を用いて指紋を別の紙に転写し、それを化学薬品によって検出する実験も行
なった。指紋の転写/検出は十分に可能だった。

 私たちは、その他さまざまな観点から複数の分析を行なって、結局、偽札から検出されたという指紋は、指紋カード( FBI方式)の右手人指し指の指紋を転写したものであるとの確信に達した。今年3月25日と4月1日の公判において、指紋に関する証言が行なわれ、複数の意見書が証拠として採用された。

 以上が、タイにおける児玉章吾氏と田中義三氏にかかる偽ドル事件の概要であ
る。支援者の一人が言った。「ハイジャック犯人であろうとも、冤罪は許されな
い」、けだし名言である。児玉章吾氏とその家族という苦労を重ねた国際人
が、このまま、冤罪の汚名を着せられて、見捨てられてはならない。