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日本型メディアシステムの崩壊

ニュースをゆがめ、言論を無力化する構造


著者 柴山哲也
出版社 柏書房


値段  2200+税


 本ホームページの古くからの読者は気がついてるとおもうが、わしはずっと大マスコミ、とりわけ、朝日新聞の批判をしてきた。それはこのホームページができて間もない頃、京都の若いヤクザの青年が、ヤクザと名乗っただけで、朝日新聞記者に取材をされないまま、ホームページを抹殺される、という事件がおきて以来だ。その時の朝日側の対応というのはあきれるほど無責任というか、卑怯な逃げ腰だったのにおどろいた。その後も、暴対法問題、田中・児玉事件、安田事件、などを通じて、マスコミのでたらめな報道と勝負せないかんようになって、その度に、大マスコミのなかでも「朝日新聞」「テレビ朝日」など、世に「評価の高い」朝日系列が、社長が権力癒着型の讀賣や、経済界の立場にたつ日経、右派論説をもって柱としているサンケイよりはるかにタチの悪い役割を演じている事実に気がついた。「まず記事を書くのに権力に頼って、お墨付きをほしがる」「上が責任をキチンととろうとしないで逃げを打つ」という点で、「進歩的」「反動的」とかいったいわゆる「政治的な立場」以前の異質さを感じたのだ。本当は腰抜けなのに偉そうな態度をとる、ちゅうのは権力を持った官僚そのものや。こんなんに「言論の自由」なんかいわせといたら、ほんまに「言論の自由」がくさってまうがな。


 こう感じているのはわしばかりではない。やはりインターネットの上で突破ページを主催している河上イチロー君も、ぶつかる問題にいつも朝日がひっかかるのに「なんで朝日ばかりなんでしょうね」とあきれとった。で、ダメな新聞である、ということはわかるのだが、なぜか、というのはわしもよくわからなかった。というのも朝日の記者は結構、取材にわしのところにくるのだが、ちゃんとしたヤツが多いのだ。それだけに、「記者がそうわるくないのに、なんで新聞になるとああも『官報』になってしまうのか?」というのが不思議やった。


 そのような疑問の多くを解いてくれたのが、この本であった。

 今の朝日新聞というのは、当の朝日記者の古手が「新聞記者らしい人が社内にいなくなった」「一体わが社はどうなってるのか自分らにもわからない」と嘆き、若手は「能力の高い人はどんどん辞めていく。ぼく辞めても行くところがないから...」とぼやいとる。内容も、官僚の言いなり、発表そのままで、「特ダネ」も官僚の意図的リークの大々的報道ちゅうことで同業者の憫笑の的になっておるらしい。わしにいわせると、目くそ鼻くそ、みたいなもんやけどな。

 この本はその背景にある記者の「ブランド志向」的意識構造の変化、「ジャーナリストより、社内の出世」を求める内部構造。その構造を産んだ高度成長後のバブル期の「ニューメディア」投資、その後遺症、などの経済基盤分析から、さらに、その深い根が戦前からの体質にあるところまでが説得力のある事実で説明される。例えば、言われている朝日の「不偏不党」というのは、戦前の軍部の弾圧を回避する手段としての一種の「転向」として生まれた考え方であり、この新聞が「高い評価」を受けるに至ったのは実は戦争報道での物量作戦であった、という指摘がある。戦後も本質的にそれはなんら変わることなく受け継がれたまま宅配体制のもとで部数だけ巨大化してきた過程が興味深い。そのなかから、どう批判されても記者クラブ制度を辞められない理由や、むなしく「人材」が朽ちるシステム構造が浮かび上がってくる。


 筆者は、元朝日新聞記者で、1970年に入社して、朝日ジャーナルをへてハワイ大学、などの客室研究員になり、「なぜ日本の新聞はダメなのか」を研究した人物。現在、京大の非常勤講師という。テーマは「日本のジャーナリズムの構造」であって、別に「朝日のダメさを研究した」、とは言ってないが中身を読めば、まあ「ニュースをゆがめ、言論を無力化する構造」というのは「朝日新聞」そのものだとわかる。感情を廃したクールな書き方だが、それでも行間から朝日新聞を今も愛しとるらしい筆者のジャーナリストとしての無念さと怒りがにじみでとる。いわゆる週刊誌の朝日バッシングや、OBが勝手に悪口を言ってるような類とは一線を画している。

 彼は「新しい時代への模索もそのなかかからでてくる」ことを期待しているようだが、わしは「そもそもこの本を書けるほどの男がこの新聞社を去ったこと自体、この新聞はアカンやろな」とおもう。 

 しかし、現状では残念だが、これだけ「影響力のある新聞」に代わるべきまっとうな活字メディアがこの国には育ってるとはいえない。だから、「読まない」「不買」というのが必ずしも解決にならん。部数なら1000万部を誇る讀賣が一番なのだが、官僚は「朝日」に書かれるのをおそれる。「朝日は役所のスクラップで一番上に置かれるし、上司は一番上しか読まないから」という笑い話がある。「ゴミネタばかりだが一応、目を通すためにとってる」というヤツが実に多いのだ。まあ、わしもみてるけどな、3紙では一番マシな毎日が身売りとかいうウワサがでとる始末だ。「ブランド信仰」やね、これは。3紙プラス日経、サンケイ、共同の読める東京新聞に目をとおして、英字新聞の見出しをちらりと眺める、というのがこの情報後進国のでの比較的正しい新聞の読み方であるが、普通の人はそうもいかんやろ。

 つまり今なお、多くの日本人にとって「日本」の全体像は困ったことにおおかれ少なかれ「朝日」が日々つくりだすイメージに影響され、操作されているわけや。すでにエスタブリッシュメント側の情報操作能力は本ホームページでも明らかにしてきた例えば中坊公平一斉賛美論にみられるように、より巧緻で凶暴で完成されたものになっている。すなわち、今の新聞の中身、とりわけ「民主主義」「市民主義」みたいな口触りだけええこといいながら「世論」を誤導する「大衆迎合・権力迎合ブランド紙」の正体はわしのようなテンサイを除くと、まあなかなか見極めがたいやろ。

 「清潔なファシズム」行き毒入り饅頭みたいな世論誘導を突破するには、読者側が見る目を持って武装せざるをえない。その上で、「朝日に広告が載った商品は買わない」とかならんと、この新聞の体質は変わらないやろな。そういうことは起こりそうにないから、つまりは当分このままやろ。

 というわけで、ちょっとむずかしいところもあるかもしれんが、電脳キツネ目組組員は必読文献である。こういう本はもっとはよよまないかんかった。わしも、うかつであった。 なぜこのような本が大きな話題にならなかった不思議なぐらいだが、これだけあからさまに「真実」を指摘されると、さすがに当の新聞としては恥ずかしくて「書評」なんか書けなかったのではないかとおもわれる。

 記者クラブ発表だよりでいまや足腰も、根性もよたよたして所沢ダイオキシン問題でも、論陣らしい論陣も張れず、中途半端な腰砕けでバカにされとる、当の朝日新聞の人もまず読んでいないだろうから、ぜひ読みなさい。きっと早く辞めたくなる。

 朝日新聞は新人社内研修の教本にしたらどや?

                2月24日  宮崎 学

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日本型メディアシステムの崩壊

ニュースをゆがめ、言論を無力化する構造

日本型メディアシステムの崩壊
著者 柴山哲也
出版社 柏書房
値段  2200+税


以下目次だけ紹介しておく


まえがき
序章 崩壊するジャーナリスト像

変容する記者意識 ジャーナリストの自已イメージ ジャーナリストか新聞産業労働者か 二者択一文化と価値観の崩壊 公益性の基準が失われた 労使あってジャーナリストなし 日本の新聞とは何か

第一章 攻撃される日本型ジャーナリズム

隠蔽された「鉄の四角形」の構造 情報の内外落差 日本異質論との遭遇 欧米組織のブランド・ショッピング 再び世界墓準から逸脱 トリックスターとしての日本型メディア

第二章 日本型新聞システムとは何か

新聞社はなぜ「製造業」か 日本の新聞の特異性ゼロサム・ゲームの果てに 巨大企業への脱皮がもたらしたもの ニューメディアという幻

第三章 情報の真空地帯と記者クラブ

 記者クラブ天国 責任不在の情報ネットワーク 記者クラブの歴史 二重の洗脳 システム記者クラブは廃止できるのか 情報弱者の抵抗 「書かない記者が大人」という病理 情報公開法が秘密を隠す 情報ゴミが生む情報ニヒリズム

第四章 不偏不党言論の興亡

 「不偏不党」のオリジナリティ ”公共”とは何か 大阪系ニュージャーナリズムの日本制覇 戦争を扇動した新聞 与えられた自由とGHQ検閲 自主規制の源流か、原爆報道のタブー 戦後「不偏不党」主義の功罪 椿事件という記念碑-不偏不党の亡霊 漂流する「第四の権力」

第五章 言論の荒野 巨大化の果てに

 日本化するアメリカの新聞 成長志向の日本、利潤重視のアメリカ”横並び紙面”が販売を助ける 新聞社こそ情報公開を テレビを支配する新聞社 官僚機構との相似形ジャーナリズム 大国に忍び寄る危機 多発するメディア間訴訟 スケープゴート探し誤った”メディアの戦場〃


第六章日本型ジャーナリズムの進化論

 ジャーナリズムと政治文化 〃電子新聞”の挑戦 日本型メディアのビッグバン 日本を駄目にしたのはジャーナリズムか 日本発アジア新聞の可能性 言論感覚を研ぎすます必要がある 日本型メディア・システムとは何だったのか? グローバル・ジャーナリズムヘの道 日本型ジャーナリズムの課題

終章 人材をどう育成するか ジャーナリズム教育と研究の日米格差

あとがき