関西突破塾 2nd stage、楽しませていただきました。
組長ならびにスタッフの皆さん、ありがとうございました。
そして、ゲストの**さんにも感謝と敬意を表したいと思います。
以下、今回の突破塾の参加レポートとして提出させていただきます。
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多くを語らない人であった。
しかし、多くを感じさせる人でもあった。
彼は最小限の言葉しか使わない。それなのに、ひとたび彼が口を開く度、彼を
とりまく空気が変わる。流れを変える。でも根底のところでは、太く短い芯がし
っかり地面に突き刺さっている。その芯は決して、NASAが開発したチタン合金の
ような質感ではなく、熱い鉄を打ち何度も何度も鍛え上げた鋼のような重厚感を
備えていた。
…なんて言うと大げさに聞こえてしまうが、本当に感じてしまったんだから仕
方がない。というより、正直に白状すれば僕はその日、本当は「チタン合金」を
期待していた。筋金入りの極道人生を歩んできた人とはいえ、わざわざ人前に出
て話をしてくれるなんて、なんてフットワークが軽いんだろう!すげえや、きっ
とビックリ仰天するような極道秘話を聞かせてくれるんじゃないか…。なんて思
っていた。
ところが、である。その人はどこからともなく会場に入ってくるなり、車座に
囲まれた中央に用意された席には座ろうともせず、「私はここでいいです」とキ
ツネ目組員たちが座っている車座のイスに座ってしまった。スタッフがいくら勧
めても、ガンとして席を移動しようとしない。すでに宮崎親分は中央に座り、対
談が始まろうとしているのに、である。
のっけから強力なパンチを見舞われた気分になっていた。もちろん僕の浅はか
な「チタン合金」構想は、この時点でもろくも崩れさったのはいうまでもない。
しかし、これはいったい、どういうことなんだろう?オーディエンスの席に座っ
たということは、オーディエンスと同じ視線で話をしようとしているのか?い
や、そんなどこかの講義の似非ヒューマニスト講師にありがちな生やさしい態度
ではない。かといって、宮崎親分が本当は嫌いだから(笑)、とか、僕たちに話
をするつもりがない、というわけでも当然ない。じゃ、何? だってそれって、
ものすごく常識破りな行動じゃないか。僕らが安易に頭に描いていた、いわゆる
「トークセッションの構図」を、あっさり壊してしまったわけだから。
しかし、その答えは、その人の少ない言葉と、それによって弛緩する会場の空
気をあの場で共有した人は皆、感じとっていただろうと思う。
その人は、壇上に立つことを拒否することで、ご自分の立場と存在意義を暗に
主張したのだと思う。
宮崎親分がアウトローの立場から現代社会の歪みを浮き彫りにする論客であ
り、その持論のもとに不条理に立ち向かうタフ・ファイターであるとすれば、そ
の立場上、内から外へ向かって(あるいはその逆の方向性で)はみださんとして
いる人や、はみ出しそうではあっても所詮インサイダーである僕たちのジレンマ
と常に接点を持つということは、考えてみればごく自然な話である(もっとも、
ここまでしてくれる人もそうはいないけれど)。しかし、その人はあくまでもア
ウトローとしてアウトロー社会をまとめあげてきた御仁である。その様な立場の
人だからこそ、「私はそこに座るべきではない」という、極めてストイックな振
る舞いをしたまでなのだろう。
しかしその上で気になるのは、ならばなぜ、あの会場まで足を運んで、対談に
臨もうとしてくれたか、という点である。宮崎親分の顔をたてるとか、そういっ
た建前的な義理人情だけで承諾してくれたとはとうてい思えない。何かを伝えた
いとまではいかないまでも、思うところがあったから、名前を伏せるという条件
ながらも登場してくれた、と考えるのは受講者側のエゴなんだろうか。
「我々の組織は大きくなりすぎた」と、その人はしばしば口にしていた。
よくいう数の論理で考えれば、頭数がそろってマジョリティとなれば、アウトロ
ーたちが正義となることだって可能なのに、それを望まないというのだ。一方で
は、その組織がますます強大になっていくことを恐れて、国家権力が法によって
無茶な圧力をかけているという実状があるというのに、当の組織の幹部その人
が、むしろ組織を整理するべき、と考えているのである。この現実を、どう受け
とめるべきなのか。
質疑応答の席で、僕はその人に「『暴力団』って呼ばれることを、当人として
はどうお感じですか」という、無遠慮で無謀極まりない質問を投げかけた。暴力
団、という言葉は、警察がヤクザに与えた、とんでもない差別観に基づいた称号
である。「暴走族」とか「ローリング族」とか、あげくのはてには「チーマー
“族”」とまで、なんでも「族」をつけて片づけてしまう、想像力とコピー作成
能力ゼロな人たちが考えた、最高にして最低のネーミングである。なんたって
「族」じゃなくて「団」にしたところがミソだ。そーとー気合いが入っている。
…おっといけない、話がそれた。まあ、そんないきさつのある呼び名を面と向か
って投げかけるなんて、命知らずにも程がある。そんなことはわかっていた。で
も、聞いてみたかった。
言い換えれば、こんな愚問にどう応えてくれるのか、そこが問題だった。おそ
らくその人は、「そんなことは問題ではない」と言うだろう。で、やっぱりそう
言った(というより、気まずい雰囲気を察した親分に、そう諭された。とほほ、
すいません)。…しかし、その時その人はこうも言った。
「まあ、その通りの連中だってたくさんいますから。」
この一言に、僕はその人の、何か言いようのない「やりきれなさ」を感じた。そ
れは、そんなつまらない質問をした僕に対しての「やりきれなさ」だったと言わ
れてしまえばそれまでなのだが、う〜ん、でもなんかそれだけじゃないような気
がした。
言葉少なに語る人だったが、それ故に、言葉が際だつ。
「我々の組織は大きくなりすぎた」
「弱いものいじめをするな」
「白いものを黒としてねじ伏せるような社会は、そもそもおかしい」
いわゆる社会一般に背を向け、己のルールで生き抜いてきた人である。いつ命
を取られてもおかしくないという状況の中で君臨している人である。そんな任侠
社会の重鎮が、自分たちの場所を含めた社会全体の動向を懸念している。そし
て、わざわざ僕たちの前に出てきて、ストイックに言葉を選びながら、至極当然
なことをしきりに口にする。
至極当然なこと?
至極当然なことが至極当然に行われているのなら、そんなこと言う必要がないは
ずである。
僕個人の考えとしては、こんな世の中、どうせならもっとインチキになってし
まえばかえって面白いんじゃないかとさえ思っている。「良い、悪い」で判断す
るよりも「すごい」ことがたくさん出てきてくれればいいし、そんな「すごい」
出来事を、微力ながら応援したいと思っている。しかし、悲しいかな、「すご
い」出来事を期待していると、大概「ヒドい」出来事でしかなかったりする。と
くにこの20世紀の最終年においては、みんながミレニアムとかいって色めき立っ
ている割には「ヒドい」出来事ばっかりで、「そりゃヒドいな」なんていいなが
ら、ますますそれに感化されてしまっているような気がしてならない。
そう言った意味で今回の突破塾は、仰天するような極道秘話こそ聞けなかった
けれど、その人そのものの存在と振る舞いに大変仰天し、考えさせられたので、
非常に有意義な時間を過ごせたと思っています。
あっそれから、もう一つ思ったのは、やっぱり「オトコは黙ってサッポロビー
ル」だよなあ。古い。
2000.8.11 NANIO 拝
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