大阪・池田小の児童殺傷事件。宅間被告に求刑どおりの死刑判決である。俺自身は死刑廃止論者だ。裁判官も人間である以上、間違いを犯す。間違いを犯さんのは金正日くらいや(笑)。そんな人間という存在が同じ人間の命を奪う判断をすることに疑問がある。
そのうえでこの事件をどう見るかだが、まず言えるのは俺の家族や愛する者があのような無残な殺され方をしたら、死刑という極刑が出てたとしても気持ちは収まらん。俺ならどんな手を使っても犯人を殺す。
死刑を廃上する代わりに、"敵討ち"を脇めよ。それがオレの主張である。
被害者家族の中にもー人くらいは、裁判所で宅間に襲いかかる人間が現れるのではないかと思っていたのだが、そんな話はなかった。恐らくハラワタは煮えくり返っていたろうが、粛々と判決主文を聞いていたようである。俺としてはそれが不思議だ。

俺がみずからの手で決着をつけたいと考える最大の理由は、裁判システムをまったく信用していないことにある。法学部出身でもあり、同級生の中には裁判官や検事になった者も大勢いる。俺の周りに隈った話なのかもしれないが、まあ、ろくなヤツがいなかった。あんな連中が下した法的判断で自分の怒りや不満がいやされることはまったくない。
少年犯罪などの場合では、被害者家族が民事裁判を起こすことで犯人の親の責任をとうことも増えている。これにも一抹の疑問が残る。民事訴訟を起こすことで、非公開の少年裁判ではわからなかった殺され方や殺すに至った流れを知ることはできる。
しかし、それを知ったところで何になる。殺された者は帰ってこない。何かしら一矢報いたいとする気持ちはわかるが、精神的な満足も得られまい。
今回は被害者の心情をかんがみて、裁判の模様をビデオで見ることができたという。しかし、裁判というシステムにゆだねてしまえば、結局、被害者サイドヘの手心や温情とは、まあその程度なのである。
また、事件の社会的反省として、学校側の危機管理問題が取りざたされているが、これもどうか。もともと「危機」なんてものは予想もつかない事態だからこそ危機なのである。どんなに綿密なシミュレーションをしても、限界はある。宅間のような人間が普通
に存在しているということ自体、予想をはるかに超えていた。さらなる凶悪犯がいないとも限らないだろう。マニュアルですべてをカバーするのはしょせん無理な話や。

さらにもうーつ、刑法第39条。犯行時での心神喪失状態をどう見るかという点だ。宅間の弁護団が唯一のよりどころにしたのも、この部分である。
廃止しろ、との意見もある。確かに事件当時の精神状態など、あとで付けた理屈で判断できるようなものではないのも事実ではある。欠陥のある法律ではあるが、存在する以上、適用の可能性を考えるのは正当な行為だ。
余談であるが、アウトローの中には、39条を利用して罪を逃れた者も大勢いる。要は気が変になったように見せるのだが、撮も確実なのはパクられたあと、留置所で自分のクソを食うという方法だ。「こいつはおかしい」となるらしい。まあ、犯した犯罪の内容にもよるだろ。
話を戻す。
この適用に当たっては、計画性があった場合は責任能力が間えるというのが一般
的である。しかし、そもそも素人が人を殺す場合が、まともな精神状態であるはずがない。宅間は、前日にカーナビで場所を調べたうえで犯行に至った計画性と判断されている。しかし、あらゆるテクノロジーが進歩している今どき、異常な状況でも習慣としてこれくらいは行う。そう考えても決して不自然ではない。これをもって犯行時の冷静を証明し、責任能力が問えるとするのは明らかに短絡的だ。
宅間の場合、殺人に至る過程で「決意」的なものがほとんど感じられない。自然の流れで殺害に至っているが、「自然」であること自体、ヤツがそれだけおかしくなっている何よりの証拠であろう。その意味においても、宅間への刑法39条適用の目はあったと俺は考える。
だが、結果はそうならなかった。恐らく裁判所はかなりの部分で世論を意識したー極刑でなければ世論が許さない。純粋に法のうえで決着をつけるべき場所が、法以外の要因に左右されている。これも俺が裁判を信用しない理由のーつだ。

さらにいえば、これは宅間の事件に隈った話ではないが、事件を再検証する際の視点にも問題がある。被害者ないしは被害者になるかもしれない「善良な一般
市民」の立場から犯罪を見る傾向が強いのだ。
このことが実は犯罪の正体を見えにくくしている。むしろ加害者側から見るべきなのだ。なぜ踏み切ったのか、その心の闇にこそ本質は隠されている。
俺は犯罪を、いい犯罪、悪い犯罪、病気の犯罪の3つに大別して考える。
この分類で言えば宅間は明らかに病気の犯罪である。
公表された宅間の手紙には、社会に対する恨みつらみが並んでいるが、いずれも後付けの論理であり、決して本筋ではない。宅間に俺が感じるのは「弱い者がよリ弱い者をイジめる」という現代社会の病巣そのものなのである。
宅間はどんなに社会に不満があっても、自分より強い者には向かわなかった。ヤクザ相手にケンカするなどありえないし、刃を向けたのは女や子供。しかも、小学生ではなく幼稚園児ならもっと大量
に殺せたのに、とまで言っている。関西風に言えば。ヘタレ"なのである。
弱い者がより弱い者をイジめるという図式は職場や学校にあるイジメの構造と同一。犯罪に至らぬ
までも、それが日常として存在していることを問題視すべきだ。実力社会、成果
主義といえば聞こえはいいが、要は弱肉強食。かつては野蛮な行為とされたものが、今では当たり前のこととして通
用している。宅間はそれが最悪の形で突出したにすぎない。
今回の事件で考えるべきは、何をおいても.この部分だったのである。最後に今後の展開だが、本人に控訴の意思はないという報道もあるが、俺は控訴すると見る。理屈はどうあれ、控訴すればそれだけ命が長らえる。口ではどんなに強がっても自分の死刑判決を聞くのも怖がるようなヘタレである。間違いなく控訴する。まあ、宅間は刑務所の中では相当イジめられることを覚悟せんといかんだろうな。