インターネットで知り合った見ず知らずの者どうしがつるんで死ぬ
、いわゆるネット自殺。クルマの中で練炭を燃やして一酸化炭素中毒で死ぬ
ケースが大半のようである。今後も急増することは間違いない。
死にたいやつは死ねぱいい、というのが俺の結論だ。死ぬ
ときまでだれかとお手々つないでないといかんヘタレなど、何の興味もない。
自殺そのものを否定するつもりはない。ネットで自殺を思いとどまらせるサイトもあるが、まったくもって大きなお世話。自分の体をどう処分するかなんぞ、そいつの自由にさせてやれや。
俺の周囲にも自殺者はけっこういた。1人目は70年、大学時代の後輩。学生運動に疲れたと大学近くの神社で焼身自殺。いわば思想上、政治的な性格の自殺であった。96年に不動産屋の友人。同じく焼身自殺である。こちちはバブル崩壊による借金苦自殺だ。
彼らの死については、俺も共感できる部分が少なからずあった。何せ俺自身も借金を抱えて自殺を考えた経験があるからだ。当時、俺は約10億円の保険に入っていた。自殺すれば保険金が下りて借金はチャラ、家族や女たちにも金が残る。保険金を手にして今の状況を脱したい。逃げというよりも経営上の攻め的な発想だったと自負しとるがな。居眠り運転を装い、ガードレールを突っ切ってダムにでも飛び込もうと決めてクルマを走らせたのだが、最後の最後で俺はブレーキを踏んだ。よくよく考えてみれば、たかが10億程度の金で死ぬ
のは何ともバカバカしい。返せなかったら踏み倒せばいいだけの話や、と開き直りの境地に達したというわけだ。
まあ、俺にはそんな状態でも普通の神経が残っていたのだろう。ネット練炭自殺には、そうした理解の余地がまるでない。従来の自殺理由のカテゴリーに入れて考えること自体に無理がある。
おおまかに分類すれば「病苦自殺」「借金苦自殺」を筆頭に、精神的な行き詰まりが原因の「挫折死」。これらが自殺の3大原因であろう。さらにあげるなら、政財官界によく見られるスキャンダル隠蔽のための「政治自殺」、三島由紀夫に代表される「アピール死」あたりか。頻発する自爆テロは「アピール死」の変形ともいえる。自殺とは文字どおり、みずから命を奪う行為だ。ある意味、殺人の一種とも換言できる。〃自死”でなく〃自殺"と書かれるのもその表れだ。
しかし一方で、命を奪うという行為のホコ先は、時に他者の命に向けられる危険をはらむ。先にあげた分類でいえば、すべての自殺に、その理由となる対象・人間が存在する。その者への"復讐"という形に変わる可能性は決して少なくないのだ。かつて大手タイヤメーカーでリストラされた中間管理職の男が社長室で自殺した。社長へのアピールだったわけだが、これが社長へのストレートな怒りとして噴出する可能性は決して低くはない。俺が同じ境遇だったら間違いなく社長を殺していただろう。
だが、一連のネット自殺者に、自殺を殺人に変換するそんなエネルギーがはたしてあっただろうか。俺にはそう思えない。自殺とは孤独死だ。苦境との戦いの末、極限的に窮まったうえで独り選択するものである。仲間を探して一緒に死にましようという発想に、そんな切迫感はみじんも感じられん。
複数での自殺行為自体は決して珍しいものではない。戦時中の集団自決や男女の心中である。しかし、これらはよく見知った人間どうしが死しか道がない、とやむなく選択したケースだ。
ネット自殺は初対面のうえに、死んだほうが楽そうだから、とほかの選択を拒否することから行為に至っているとしか思えない。むろん、当事者なりに何らかの理由はあるだろう。だが、俺の調べた範囲では、それほど究極的なものがあったとはまったく思えんのだ。
ネット自殺者の多くはこれまでの人生を楽に生きすぎてきた、社会は優しいものである、と信じさせられてきたのではないか。
「世の中は自由で平等」「警察は悪人逮捕に一生懸命」「政治家は国民のために働いている」などというウソばかり吹き込まれてきた。だが、世の中はそうではなかったと気づく。それも20歳を超えてから、ときわめて遅れぱせな年ごろに。今まで築いてきた価値観が崩壊していく。それへの耐性はまるでない。
ここで問題視すべきは学校や親の教育だ。その典型ともいえる親の話がある。先日、俺が某新聞のコラムに書いた「借金は踏み倒せ」との主張に対し、42歳の主婦から「私は子供には借りた金は返しなさいと教えている。踏み倒せなどという意見はとんでもない」との抗議が来たのだ。これこそバカなかわいがり方である。借りた金を返せという至極当たり前の話を、いちいち子供に教えて何になるのか。返せなくなったときにどう対処すべきかを教えることこそ教育であり、親の愛情ではないか。借りた金は返す、それが人間としての正しい生き方だ。それでは返せない自分は正しく生きられない、生きる資格がないー自殺。
極論すれぱこうなるのである。こういった自殺は減らない。
思いとどまる者を多少なりとも増やすためには、死についてのリアルな認識を与えるしかすべはないだろう。それは例えば、電車への飛び込み自殺にかかる損害賠償などのコストの話でもいい。比較的死に顔がきれいとされる練炭自殺でも、死後の弛緩時に全身の穴が緩んで糞尿でヨダレはたれ流しになる、といった話でもかまわん。しょせん、格好いい死に方、なぞない。それは醜く、つらいものなのであるという現実的一を知らしめることだ。
三島の楴割腹自殺は格好いいだと?あれも痛いで(笑)。
やはり、どことん生きてのたれ死にする。これこそ人間なのである。生きることとはツラいことである。もっといえぱ恥すかしいことでもある。ツラさと恥ずかしさの連続がすなわち生きるということなのだ。世の中は個人に冷たい。暖かいのは火事の現場だけ、という現実を肉感的に知ることが何より重要である。
|
ネット自殺頻発
ネット上の自殺志願者が集うHPで自殺への参加を呼びかけ、初対面
どうしで集団自殺に至る事件が、今年2月からすでに10件発生している。大半が20-30代。山中に乗りつけたクルマの中で練炭をたく一酸化炭素中毒死を選ぶケースが多く見られる。
|