キツネ目事件調書(アサヒ芸能3/13日号)

リクルート事件   未公開株ばら撒きははたして贈賄か?

  被告は大金持ちで会社は大発展  

 ある意味では「完全犯罪」に近いと言える事件といえるだろう

 リクルート事件で贈賄罪に問われていた元同社会長・江副浩正被告に対する判決が東京地裁で言い渡され検察は控訴を諦め、刑が確定した。

懲役3年、執行猶予5年の有罪である。妥当な判決ではあるが、裁判に13年要したことを問題視する意見は多い。まずはこの点を考えてみたい。

  裁判を効率化し、刑を早期に確定させることが罪を犯した者に対する制裁になる、というのがもっぱらの一般に言われる意見だが、これは必ずしも的を射ていない。被告人は保釈中であれ、勾留中であれ、裁判期間中はさまざまな不利益を被っている。裁判が短期化されれば不利益期間も短くなる。被告人にとっては、むしろ歓迎すべきことかもしれない。

 しかもむやみに裁判の進展を焦っても、結果的に冤罪事件が増えるのでは本末転倒だ。軍法会議ばりに、ろくに審理もせず「有罪、銃殺」でいいなら別だが、被告に十分な反論の機会を与えてこそ正しい判断に近づける。裁判で徹底した審理をすることで、犯罪の背景を浮き彫りにできる。こうしてこそ、社会的教訓にもなるのだ。

 まして13年かかったのは、江副被告自身による引き延ばしやない。裁判の過程で藤波孝生元官房長官が一審無罪になったことを受けて、そのあとの審理が慎重になっただけのこと。これは検察の落ち度が原因である。犯行自体は未公開株のばらまき行為であった。これを裁判所は違法と判断したわけやが、まずはこの判断をもう一度考えてみる必要がある。 そもそも江副被告の狙いとは何だったのか?

 彼が立ち上げたリクルート社は既存の新聞社や出版社とは根本的に違う、まったく新しい情報ビジネスを目指していた。これまでの活字メディアの多くが大所高所から読者を啓蒙する「お仕着せ記事」に走っていたのに対し、同社は(求人情報誌がその典型だが)読者の損得にすべてが根ざしている。これを読まないと損をする、と感じさせるのがうまかったいうことや。

 同社の原型となる広告会社の設立は江副被告が大学生時代。広告料を取って企業情報誌を作り、それを学内に流通させていたという。当時からアメリカの求人情報誌に造詣が深く、早くからこのジャンルに目をつけていたのだ。

 従来の新聞・雑誌を虚業とすれば、リクルートの雑誌はまさに実業。このまったく新しい概念を武器に情報帝国を目指したのである。情報はカネになる。それを縦横に操ることで生まれる利権は莫大だ。ある企業情報を同業他紙に高額で買い取らせたり、それを逆手に株で儲けることも可能。政財界の個人情報を得られれば弱みを握ることにもなり、そこからまた新たな利権が...というわけ。彼は最終的に情報で権力に君臨することをもくろんだのだろう。

 だが、その理想はすんなりと実現できない。当然のことながら、新聞・出版界の反発は激しい。そんな抵抗勢力を少しでも遠ざけ、みずからが生き残る手段として彼が選んだのが、一連の方法論だった。  もともと未公開株を手に入れて上場時に大儲けするという財テク術は、それまでの政財界をはじめとする日本のエスタブリッシュメントの伝統的な方法である。あえて犯罪としてあげられることがなかったにもかかわらず、なぜ江副被告の場合は事件として扱われたのか。ここに大きな意味があると俺は見る。

 これはつまり、東京地検特捜部という、主として政治家の汚職事件を扱ってきた組織が、今後は政界だけでなく経済界へもカを発揮させることができるということを示したのである。事件発生の88年はまさにバプルのさなか。土地、株で大儲けしようと暗躍する者が頻出してきた経済事情への検察の牽制と見ていいだろう。これ以降、同特捜部の守備範囲が年々拡大しているという事実を考えれば、検察にとってはまさしく思惑どおりであったわけだ。

 ただ、江副被告が凄かったのは現金という実弾ではなく"株"を使ったことにある。株などというものは、しょせん、ただの紙切れ。投資家が買った時点で初めて価値を生む。つまりは市蜴がリクルートに代わって政治家にカネを払ってくれたいうわけや。現金は贈収賄になるが株なら成立しにくい。恐らくそんな読みがあったに違いない。事実、裁判においても、検察が主張する「値上がりが確実視される株の譲渡は受託収賄に当たる」という論拠には無理があった。当たり前の話やが、株は必ず値上がりするとは隈らないのである。

 すべてはどんなカス株でも値上がりしたバブル期だからこそ成立したのであり、いつの時代にも通用する錬金術では決してない。となれば、必ずしも違法な行為ではない、との見方もできる。現在のような不況下で起こったとすれば、未公開株での一儲けを信じる者がどれほどいるか。紙くずになる危険性が高いものをリスクを負ってまで手に人れようとは思わんやろ。立件することさえ難しいて。しかもゼネコン汚職のパターンと違って、実質的な被害者はゼロだ。ゼネコンは政治家に取り入って高い工事費の仕事を取るが、そのカネを支払うのは結局、納税者。つまり被害者は納税者となるが、リクルート事件はカネではなく株。投資家にしてみれば、政治家たちを経由したものであろうとなかろうと、だれから買おうが利益は同じこっちゃ。

 それにリクルートの出版物の読者にとっても、同社と政治家の関係が深まったからといって、急に質の悪いもんを読まされるわけでもない。強いて言えば、リクルートの本が売れることで、既存の出版社がダメージを受けることはあるかもしれないが、それは結局、自由競争に負けただけの話や。そう考えれば、今回の判決に執行猶予が付いたのは当然。検察も、有罪にできただけでよかった、というのが本音やろ。裁判所が検察の顔を立てた判決、ともいえる。

 まあ、江副被告としてむ新興企業が政・財・官の鉄のトライアングルに食い込むためには、あの方法しかないと思ったのだろう。ただ、本人は限りなくグレーゾーンの行為と思っていたのが、クロと判断されただけのこと。最近では反省の態度を示しているらしいが、心の底では確信犯的な部分もあると違うか。 現在、江副被告は66歳。会社経営の第一線を退いたとはいえ、今も大金持ちであることに変わりはないし、リクルート社はその後も発展を続けた。その意味では相当レアなケース、ある種の完全犯罪に近いやろな。

 

 

 

 

今週のテーマ

リクルート事件 グループの不動産会社・リクルートコスモスの未公開株を政財界の有力者に超安値で譲渡した贈収賄事件。譲渡者リストには藤波元官房長官、中曽根元首相、丸山元読売新聞副社長らの名前もあがり、時の竹下内閣は解散となった。

 

 

 


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