2/21(金) バクダッド平和会議最終日とバビロン見学
この「平和会議」というのがあくまでも建て前であることは既に十分すぎるほど我々も分かっているが、それでも行きがかり上参加せぬ訳にはいかず、またそれとは別に
最後まで見届ける義務もあるな、と思いつつやはり気は重い 。
理由は議事の途中で頻繁に会場から沸き上がる「サダム マンセー!」のアジの嵐 のせいだ。おそらく最初から仕込まれたバース党員たちによるものなのだろうが、場
所が場所(バクダッド一番の会議場)だけに、それを司会はむろんのこと誰も制止する訳にはいかない。

サダムバッチもむろんあるのだ
結局、シラけるのは真面目にイラクの平和を考えて参加している外人たちと少数の イラク人参加者だと思う。
我々はどうか? 最初のイラク行きの動機はともかく、そ こに数日でも滞在し、現地の人々と交わればそれだけ「情」が湧くというのが人の道
であろう。
だが、穏健派の人々にしてもサダムを支持している人が多いように思えた。終戦ま での日本のようにどこで誰が聞き耳を立てているのか分からない状況で、サダムを否定するような言葉を発せられないとしても、それだけではないと思う。
私なりの結論から申せば、彼等の世界観が「イラク国内」から脱しておらず、また 興味対象でもない。つまり「イラクが一番!」なのだ。
自国が一番好き! という感覚は私だけでなく、どこの国民も共有するスタンスだろうが、それはそれとして「他国への興味」を持つ感覚もあってもいいはずなのだ
が、 知的層と思える理系の学生にしろ、今回の会議で個々の参加者のための通訳をするスタッフたちもそれがないのが、哀しくもあり、またイラクの今後に悲観的観測を覚えてしまう。

「歓迎」と道路端にある看板は「偉大な指導者サダム・フセインの国へようこそ」
彼等が英語を解するのは大学で勉強しているからだという。英語を専門に学ぶ学生 は当然として、理系学生の使用する教本の半分は英字によるものであり、英語修得は
必須科目となる。
であるならば、その言語の向こう側に興味対象が向かっても良いはずなのに、それはないのだ。湾岸戦争以降の経済制裁とここ数カ月の緊張状態がその向こう側から
やってきたモノであることがその理由もあるだろう。また簡単には国外へ出られない システムも出来上がっているのだろう。たぶん行けたとしても我々が利用した
アンマン -バクダッドルートを利用するのみか。それでも1,000キロの陸路だ・・ ・。
会議の閉会式は最初がそうだったように「サダム マンセー!」で終わり、午後か らはバクダッドより車で一時間半南下した「バビロン遺跡」に向かった。ハムラビ法典で有名なここだが、かつてここに「あった!」というのが分かるだけで、ほとんど
の遺跡は新しく造られたものの匂いがプンプンしてしまう。これもイライラ戦争後よ り続く「負の遺産」なのか・・・。

偉大なるバグダッドの遺跡・・・というより安手のテーマパーク風なのが悲しい
2/22(土) バクダッド マンセー!(出発日)
アンマンからバクダッドまで時速160キロ以上で飛ばしても14時間(途中のヨ ルダン、イラクのイミグレーション、税関が4時間だが)かかったことから、スピー
ドの遅いバスだと更に余裕を見なければならないとの判断で、我々のホテル出発は朝 の5時半であった。アンマンからアムステルダムへのフライトは翌日(深夜)の2時
15分だから、いかにバクダッドが遠い地にあるのか想像してもらえるかと思う。

片側3車線の道路は見事だ
もっともバスだからといって特に遅いとは感じなかったのは、常に120キロまで のメーターを振り切った状態で走っていたからだろう(☆☆;
それでもイラク、ヨルダン側の国境超えにはやはり4時間を要したが、これがアラ ブだと最初の入国で体験済みだったので、我々の誰一人としてイライラするものもい
なかった。
うつらうつらとしている間にバスはアンマンの街中に入っ ていた。外は雨だ。バク ダッドでも一時雨が降ったが、中東にも雨は降るのだ。ドライバーはイラク人なので、道に不案内らしく、時々止まっては道ゆく人に訊ねている。

国境まで見送ってくれたサダムちゃん
時間に余裕があればアンマンから二時間ほどの死海に行きたいという希望もグルー プ内から出たが、イラク人ドライバーはアンマンまでしか走ってはいけないらしく、
ヨルダン人は逆にバクダッドまでしか走ってはいけない相互ルールがあるらしい。
空港には遅くとも0時くらいに到着すれば良いと思っていたが、意は叶わず21時 に到着した。まだ5時間もある。アンマン空港は国際空港にも拘わらずショボく、レストランもない。あるのはファーストフードが2軒あるだけで、しかもそこに行くに
はチェックインと出国手続きも済ませなければならない。
ところがKLMは零時にならないとオープンしないというのだ。メンバーのひとり が無理矢理に「我々には病人がいるのだ!」(実際に病み上がりの若者がいた)とねじ
込み、なんとか22時半にオープンさせたが、いろいろ苦労の多いことだ・・・。
予定通りのフライトで早朝アムステルダムに到着し、午後2時15分の成田行きの フライトまで各自自由行動を取る。列車でアムステルダム中央駅まで出て、日曜早朝
の宴の翌日のようなダルさを覚えながら、冷たい空気の中を歩く。 ここはもうヨーロッパだ。違う世界だ。明日は日本だ。また違う世界だ。
24日朝、成田はみぞれ混じりの雪が降っていた。日本に戻ってきたと思った。

広漠たる地には羊の群が・・・これは2000年前とあまり変わらない景色だろう
電脳キツネ目組 砂漠のキツネ目隊 たけちよ ひげオヤジ両隊員による報告
(終わり)

国境のさだむちゃん ユーモアのセンスすら漂う・・・のはきのせいか
サダムちゃん まあ、あっさらーま!
これはおもしろい
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