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元電脳突破党員・儀式班班長「忍者」です。
8月16日のバロンでの集会へ行って本当によかったです。
最近、連合赤軍や学生運動関係の本をたくさん読んでいるのですが、当時小学生だった私には、彼らが「権力」のどういうところに対して反抗心をいだき、どんな世界をつくることを理想としていたのかがよくわからなかったのです。手記のほとんどはいきなり火炎瓶を用意して闘争に向かうところから始まっていたり、○○主義について書かれていたりするので、当時の風潮や思想的専門用語がわからない私には、なぜあれほどまで多くの学生が決起して行動を起こしたのか、中でも連合赤軍の人たちがどんな理想を描いていたのかが理解できませんでした。どうしてもそれを当事者に伺いたくて、バロンまで出かけたのです。
その問いに対して、宮崎総裁と植垣康博さんは実にわかりやすい言葉で答えてくれました。 ベトナム戦争や日米安保体制に対する反対の気持ちから抗議行動を起こし、国境がなく労働者が「清く、貧しく、美しく」暮らせる世の中をつくりたかった、という当時の植垣さんの気持ちがよく伝わってきました。
それに続く宮崎総裁のお言葉はとても明快でした。
「当時は社会主義に夢があったが、結局は資本主義より悪かった」
「組織を作れば、維持していくことが最大の問題となる」
「人間は”いい生活をしたい”という欲望に基づいて行動する。ソ連の崩壊だってそうである」
「左翼の悪いとこは、”やり方は間違っていたが、理想は正しかった”というところ。理想・理念が間違っていたから、やり方も間違っていたんだ」
「でも、いま六十年代に戻ったら、たぶん同じことをしてしまうかもしれない」
「それが人間の業(ごう)だ」
お二人とも現場で全存在をかけてとことんまで闘い、そのことについて三十年間ずっと正面から考え抜かれてきたんだなと感じました。
どうして私がこの問題に関心を持っているかというと、もしその時代にその場所にいたら、きっと私も火炎瓶を作っていたと思うからです。
19才から2年間、私はアングラ劇場の演劇やライブハウスの音楽活動をしていました。バブル時代に二十代を過ごした私は、欲しい物質は簡単に手に入る上に、若い女性であるゆえの恩恵も受け、きゃぴきゃぴと刹那的に毎日を過ごしていました。
まわりには全共闘より少し下の世代の人達がたくさんいて、知らず知らずのうちに間接的に全共闘世代の影響を受けていたように思います。
21才から十年間私は世界を放浪し、三十代は仏教の修行をしながら、いつも自他を傷つけながら闘っていました。そうしなければいけないような切羽つまった気持ちがいつもありました。
赤軍関係の本を読み始めた時、「総括」という言葉の意味がよくわかりませんでした。 でもそのうちに、これは二十年間私が抱き続けてきた切羽つまった気持ちにとても似ているのかもしれないと感じました。
環境問題や無農薬・反原発など二十代に様々な問題に関わり限界を感じ、三十才の時にアウシュビッツ収容所を訪れて、「人間は地球にとってガン細胞のようなものかもしれない」と感じて、仏道に入ったものの宗派に属せば「組織の一員」として行動せねばならないことに気がつきました。で、結局いまはシャバで普通の仕事をしながら、精神的にはどこにも属さず、人間の基本的な欲望を否定しないで他人に迷惑をかけない程度に好き勝手に自由に生きることにしています。
人間が環境破壊して滅亡したって自業自得だと思うし、どのみちあと五十億年もしたら太陽と一緒に地球も燃えてなくなるそうなので、また原子や素粒子からやり直して生命体ができて、また似たようなことして滅びて・・の繰り返しなのかもしれません。
でもできることなら、なるべく「清く、正しく、美しく」生きていたと思います。 そんなことをひとりで考えていたから、お二人のストレートなお言葉を聞いて、二十年来の呪縛からやっと解放されたように思いました。
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