
さすがにちと、しんどい宮崎学である(^^)
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名古屋の牧野剛を白川勝彦と応援しに行ってきた宮崎学である。 なんでわしがなんでもかんでもやらないかんねん、とはおもうが、はじめてしもた以上やらなしゃあないのである。この間の話はまたいつかするけど、その間にいくつか興味深いメールがきとるよって紹介しておく。 これをかいたフリーライターの目森はヤクザ関係に目茶強いフリーのジャーナリストである。今回の「個人情報保護法案」なるものが、暴対法、盗聴法とつづくながれのなかから生まれたものであり、しかし、すでに官僚の思惑を越えた事態になってきているというのがよくわかるやろ。
なぜ今、「個人情報保護法案」なのか
目森一喜 (フリーライター)
商法改正で情報誌が壊滅してから、そちらの方向からの経済犯罪絡みの情報が警察 に入らなくなりました。 情報誌がなくなったのは警察が企業総務に圧力をかけて内容、発行元を問わず情報 誌の購読を一律にやめさせたからです。 情報誌がすべていかがわしい、取り屋のものだったわけではありません。調査報道 の意識を明確に持っていたものもあったのです。 本当はこの時に声が上がるべきでした。 企業は情報誌が欲しくても、警察がうるさ いために購読を中止せざるをえなくなったのです。 情報誌はいかがわしいブラックだからなくなってもかまわないとみんなが思ったのでしょう。しかし、警察によって行われた行為はまぎれもない言論の弾圧でした。 すでに言論の自由の外堀は埋められています。 情報誌が次々となくなって行った後、警察に経済事件の情報が入らなくなりまし た。 情報の流れが途絶え、それが捜査力の低下につながったのです。 警察の捜査力低下の兆候は、怪文書にも現れています。 情報誌がなくなったおかげ で怪文書の量が増え、しかも、かつてないほど影響力を持っています。 それなりに信頼性のある情報誌と、怪文書まがいの情報誌の区別がつけば、対応が 出来ます。 しかし、出もとのわからない怪文書では、真偽のほどがわからないので す。 警察上層部のキャリアは怪文書を気にするようになりました。 警察内部の状況を 「告発」した怪文書が大量に出た時には怪文書を気にして内部捜査を行っています。 その結果、警察内部の士気低下が起きました。 総会屋退治は、警察の天下り確保になっただけでなく、情報の流れの途絶えを介して、警察の力を殺いだのです。 これは暴対法下で起きた事でした。 暴対法と言えば、街から暴力団を追い出した後、警察が風俗産業にタカリを始めま した。見かじめ料を警察が取っているのです。 このため、小遣い稼ぎで腐った警察の捜査力は落ちています。 元々、日本の治安は、犯罪が少ない事に支えられていました。 その要因はやくざで した。やくざが恐いから街で悪い事が出来なかった者たちが、街頭からやくざが姿を 消した事によって活動しはじめました。やくざは、犯罪の抑止に役立っていたので す。 また、失われた十年の不景気は、犯罪の多発につながっていきました。 現在、犯罪の発生に警察が単独で追いつける状態ではなくなっています。 捜査力の低下に加えて犯罪が多発した結果が、検挙率が30%を割りこみ、ほとんど 4人に1人しか犯人が捕まらない状態を生み出しました。 捜査力の低下と犯罪の多発が何を生んだかと言えば、えん罪です。 捜査力が落ちて犯人を捕まえられないなら、犯人を作り出す。 やくざや暴走族など、怪しくいかがわしい者たちには何をやってもいいと警察は考 えているし、マスコミもそう思っているようです。 警察はそういう部分をねらってえん罪を作り上げています。 4人に1人の犯人すら怪しいという事です。 もうひとつあります。 被害届の不受理です。 上尾の女子大生刺殺事件や栃木リンチ殺人が有名ですが、オヤジ狩りをされて交番に行っても、被害届けを受け取ってもらえなかった例は無数に あります。 被害届の不受理を見れば、警察には市民を守る気持ちなどないのはあきらかです。 被害届けを受け取らない事で、犯罪の発生数を減らす事が出来ます。 面倒で難しい捜査をしなくてもすみます。捜査をしてもどうせ犯人が上がらないの ならば、最初からやらない方がいいのでしょう。 世田谷一家5人殺人や、未解決事件など、初動捜査のミスで迷宮入りしたり、しかかっている事件があります。警察の捜査力はガタ落ちなのです。 しかし、犯人が捕まえられるとわかっている場合、いや、特定の人物を犯人にしたい場合は、それで警察が絵を描ける場合は、警察が被害届を書かせます。 上尾の女子大生刺殺事件、栃木リンチ殺人の背景には、暴対法以後の警察の弱体化、腐敗が横たわっているのです。 上尾の女子大生刺殺事件、栃木リンチ殺人などのような警察の怠慢と失敗は、警察 にとって、とりわけ警察官僚にとっても苦々しい事態です。 えん罪も、検察、裁判所との関係で言えば、無理を通す苦労があり、失敗をすれば えん罪が発覚し、無罪となってしまいます。えん罪や、内部の怠慢、腐敗がない方が いいのは、警察にとっても同じです。 いくら現場の警官が、暴力や脅し、嘘と罠で偽の調書を巻いても、いつまでもごま かせるものではありません。本当に事件が解決するようでなくては上層部も困るので す。 情報の世界では人的情報をヒューミント、通信傍受などの情報をシギントと言いま す。 敵の中に協力者や情報提供者を作るのがヒューミント、盗聴などがシギントです。 これにあてはめて言えば、警察の捜査力が落ちたという事はヒューミントの部分で す。 頭のいい官僚たちは、ヒューミントがダメならシギントがあるさと気軽に考えたか もしれません。 そこでサイバーポリスが誕生します。サイバーポリスは中野の警察学校内、公安警 察のサクラ寮跡地にあります。 サクラと呼ばれた、公安内の秘密警察は、共産党員盗聴事件で移転し、チヨダに なったと言われていますが、チヨダとサイバーポリスに分かれたと言えるのではない でしょうか。 盗聴法、Nシステムなどによって日本中にシギントの網が張り巡らされています。 官僚の頭の中では、捜査力の低下をこれで補えるはずです。 3年ほど前に、アメリカのFBIから大量に資料をもらって来たプロファイリングも あります。 これで科学的に、スマートに捜査ができるようになるのでしょう。 馬鹿で粗雑で不祥事を起こす下級の警察官よりも、頭のいい人間だけで犯罪捜査が 出来るようになります。 警察レベルの話でしたが、国家レベルでも事情は同じでしょう。 ここで出てきたのが情報統制の必要です。今は幸いIT技術があります。情報統制 がかなりの精密さで可能になっているのです。 情報が死命を制する時代ならば、国がそれを握っているべきだというのが官僚たち の発想です。 しかし、官僚たちがヒューミントに見切りをつけたい時にヒューミントを職業にし ている人たちがいます。 フリーランスの物書きたちです。彼らの仕事の場となってい るのは、記者クラブという情報統制機関に属していない雑誌です。 ほとんどは無視してもいいものですが、時たま、あるいは一部には無視できないも のがあります。しかし、無視できないものだけを狙い撃ちにしたら、意図が見え透いてしまう。そこで投網をかける事にしました。国民を守るという大義名分をつけるの も忘れていません。 薬害エイズ問題で明らかなように、官僚たちに国民の生命財産を守るなどという発想はありません。官僚たちにとって国民は税金製造機でしかないのです。 本当はどうするのか、どうしようとしているのかわかりませんが、少し絵を描いて みましょう。 個人情報法でどこかいかがわしい出版社をひとつぐらい叩けば、雑誌社やフリーラ ンスの人間など、すぐに尻尾を巻くでしょう。 もちろん、有名雑誌は標的にしません。名のある著者も話題になりすぎますから避 けるでしょう。あくまでもいかがわしい媒体のいかがわしい物書きを叩きます。無名 であればあるほどいいのです。それでも業界内には十分知れ渡るはずです。それで大 手にも無言の圧力となります。 あるいは、インターネットの2チャンネルのように誰が見てもタチの悪いものをやり玉に上げてもいいのです。 また、どこをとっても報道とは呼べない。なくてもいいというか、なくなった方が いい、ゴミそのものの言論もあります。 わいせつと一緒で、締める時に締められればいいのですから、法の施行当初は何も しないかもしれません。それでもいいのです。統制する事が出来るのであれば、十分であって、直接統制しなくてもいいのです。 統制出来るという事がすでに統制なのです。権力にとって露骨に姿を見せる事は失 敗に他なりません。 人の無意識にまで入り込んで、幻想としての統制が出来れば大成功なのです。 ゴミ言論も言論です。ゴミと言えども自然に相手にされなくなり、なくなるものな らなくなればいい。政府ふぜいが手を出すべきではありません。 ゴミによって、10%の内容のある言論が確保されるのです。そして、10%のまっと うな言論によって、90%の取るに足らない言論が保証されています。 そして、言論によって最低限の人の自由が保証されています。これがなければ、テ ロなどの直接行動が残るだけになりかねません。 風が吹けば桶屋が儲かるの話と違って、この話には儲かる人はいないようです。 目森一喜
宮崎学さま 私は、千葉で三番瀬の活動をしているものです。 別に自然保護家ではないので、埋立 てに対して反対、賛成は表明せず、情報公開と市民参加一本でやってきました。 その経過などを書くと長くなりますので、本題に入りますが、堂本知事になって、それまでの沼田知事よりひどいので、その現状を宮崎さんに知っていただきたいので、 報告させていただきます。 堂本さんの選対委員長が斎藤まさし市民の党委員長で、事務局は松下政経塾だったのはご存じでしょう。そして、市民ネットとか女性たちが奉仕していたのです。当選後 は無党派の勝利とマスコミで持ち上げられて、堂本さんも平成維新とか市民革命と舞 い上がってしまっています。 また、朝日新聞が歯の浮くようなちょうちん報道を連日 繰り広げています。 しかし、その陰で、堂本さんは参議院時代に培ったみっともない権謀術数を酷使し、 知事室にはほとんどいないで、霞ヶ関や永田町詣を繰り返しています。 永田町にいく のに、花束をもっていく知事なんて千葉県民としてとても恥ずかしいです。この地方分権の時代に・・。 そして、知事と少数野党の参議院議員とでは扱いが違いますから、浮き足立ち舞い上 がってしまって、永田町、霞ヶ関ととんでもない約束をしてしまうようです。 高村法相と千葉県土地収用委員会再開を約束したという噂もあります。 そして、永田町から持ちかえった成果で、千葉の有象無象の既成勢力、自民党や県議 会、地元財界、土建屋をよろこばせ、オール野党どころかオール与党状態をとびこえて、もう自民党のおっさんなんか「前の知事よりよっぽどええ。いい女や」と満面笑 みです。 仮にも知事です。 そして、「千葉を変える」「県民に開かれた政治」を公約にした知事が、当選したら180度方向転換、いや、彼女が当選したのは森派を落としたい橋 本派と亀井派の力があってこそ。これは詳しく書きませんが、森派が最大地盤をにぎ る千葉自民党に対する野中の策略です。 そのような杞憂が選挙中からありましたが、今は現実となっています。本日の所信表 明で堂本知事は公約の三番瀬白紙撤回を明言しましたが、その裏にどのような裏取引 があるか怖いものがあります。副知事人事ひとつみても、県官僚と国の官僚で、市民 派知事が国の官僚を副知事にするでしょうか? 週刊新潮で堂本知事は「政治に妥協 はつきもの」、千葉日報には「根回しが必要」と言う発言、そのようなことをぬけぬ けという政治センスは、ひょっとして女・田中どころか、女・森みたいです。 千葉の土建行政はどっぷりと右翼と暴力団につながっています。もう堂本さんがとり 込まれてしまっているかもしれません。 県庁前の右翼の街宣車がなくなりました。そ の代わりが成田北原派のデモです。左から右まで活気づいています。その陰で元気の ないのが堂本さんの勝手連だった人たち。当選してから、選挙を担った人たちは解散 してしまいました。堂本さんは喜んでしがらみのない知事生活を謳歌していますが、 奉仕していた人たちは堂本さんには会わせてもらえません。申し込んで半月経っても 返事がきません。 もう、無党派知事どころか、知事としても失格で、たとえば、記者クラブ会見でも堂本地雷原3つというのがあって、「三番瀬白紙撤回」「羽田国際化」「三角構想継 承」に関する質問をすると、ぶちきれて「そんなこと答えたくありません」と激昂す るらしいです。 これは自分が説明できないことだからですが、気に入らない質問がく ると逆切れというのでは知事失格です。 長くなり申し訳ありません。私が問題にしたいのは、堂本さんはこれは性格で歳なので直せというわけには行かない、それにたいして県民がどのような対応をとるかです。 堂本さんは県議会など既成勢力のなかで一人ぼっちの「弱い立場」だから、批判 すると既成勢力側に行ってしまう。だから変な政策や言動でも暖かく見守って側面支 援していこうというのが、現在の市民が取っている態度です。朝日のちょうちん報道 もその理由です。 しかし、私たちは堂本批判の「最左翼」などといわれることもありますが、仮にも知事という権力、県民の付託を受けた以上、命がけでやれという気持ちで、徹底的な批判を通じてコミュニケーションをとっていこうと考えています。千葉県議会と友好的 な市民派知事というロジックなんて成立しません。 無党派ばなれが千葉から始まるか もしれませんが、仕方ない事です。 堂本さんが真の市民派なら、私たちの批判こそが自分をささえてくれていると気づく はずです。 宮崎さん、以上の内容は事実ですので、公表してもらってかまいません。 堂本さんの メッキが剥げるのは早いと思いますが、私たちは千葉の自然をこれ以上ズタズタにな るのをすこしでも早く救うために、堂本さんの真実を広めていきたいです。 しかし、団体名や名前などは公表しないでください。 今でも、かなり孤独な闘いですので、その点を思い図っていただけるとありがたいで す。
ふーん、この人はメールアドレスも名前もはっきりかいて投稿してきたので掲載しておこう。堂本というおばんはもともとアブナイおばはんやったから、まあ、こういうことがあってもそう驚かないが、わしは今、個人情報保護法案を反故にするんと、名古屋で目茶いそがしなって、千葉がどうなってるか聞いてないけど、わかったらまたお答えできることもあるだろう。 ただ、はっきり言えることは、今大新聞がもちあげているものはみなインチキだ、とおもわないかん、ちゅうことをキモに銘じておいたほうがよい。 目森も指摘しておるが、すでに彼らの組織は、まさに体制そのものとなって、その別働隊として現在の危機の本質から多くの国民の目をそらす、という重要な使命を帯びていることは、60年安保の「7社共同声明」どころではないのだ。大マスコミ、なかんずく一見、進歩的にめえるようなんにきいつけや。
ほなら、わしは寝るで 2001/4/21 午前2時半 宮崎 学
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