特派員Mの講演会おおざっぱレポート
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速攻第一で、さきほどまでかかりました。正直いいますと、ちょっとレポーター自身が消化しきれていない部分がありまして、まとまりがなく見え てしまうかもしれませんがまないよりましとおぼしめして(^^; お許しのほどを (M輩)
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長野県が主催する被差別部落問題の講演会が12月6日行われた。 講師は『解放』誌(解放出版社)で被差別部落問題を扱ってい る宮崎学氏であ る。会場には2000人を越す聴衆が集まった。宮崎氏は長野を舞台に描かれた島崎藤村の『破戒』を題材に語り始めた。
被差別部落出身者・瀬川丑松は、父より「出身を隠せ」とい う悲痛な戒めを 受けて育つが、活動家・猪子蓮太郎の「我は穢多なり」という 宣言に惹かれ、 父との戒めの間に苦悩する。ついには父の戒めを破り、被差別 部落出身である ことをカミングアウトし、テキサスへと移民となり去って行く 。 藤村のベスト セラー『破戒』は、一般的には極めて「気の毒」な話とされ、 「ヒューマニズ ム」に基づく「社会的抗議」「反軍国主義」の小説として賞賛 されている。 だが、被差別部落の当事者の目から見て『破戒』はどのよう に映るのだろう か。 宮崎学氏はこう語る。 「被差別部落の人にとって『破戒』は我慢ならない小説だとい われます。蔑称 や差別用語が嵐のように連発され、作品の人物に語らせている にせよ『無性に 腹が立つ』描かれ方がなされている。また、実在の地名を出し ているために心 無い読者が無遠慮な観光客として訪れることがあります。藤村 はそういった現 実の部落に対しては全く配慮できなかったんです」。
さらに宮崎氏は続ける。 「藤村の『破戒』は劇団民芸によって劇場で上映されましたが 、そこには原作 との大きな相違がありました。一番大きな違いはテキサス移民 として去って行 くのではなく、解放運動に挺身するという風に改作されている ことだと思いま す。 これはテキサスに行くことを『逃避』や『屈服』であるとと 彼らは考えたか らですね。解放運動にとって『期待される部落民像』とは運動 に挺身する姿で あって、テキサスに移民することではないんです。 しかし、私は自分が部落民であることがわからないところに 行って金をつか むことを悪だとは思いません。むしろ、『期待される部落民像 』、すなわち 『あるべき姿』に当てはまらない生き方を『逃避』や『屈服』 などとし、排除 するという運動感覚そのものに疑問を感じざるを得ません。こ の種の思想とい うものは今にわたるまで運動の中で連綿と続いてきたものでも あるのです」。 また、あるべき姿を措定しそうでないものを共同体から駆逐 する方法態度と いうものは、官僚の発想と同種のものだと宮崎氏は考える。 「あるべき姿のもの以外を排除するやりかた、これは『上から 』押し付けるタ イプのアプローチだと思います。そしてこの種の排除の思想は 全体主義へとつ ながっていくものでしょう。 明治初期の社会主義者はいろんな ボランティアを しました。彼らは部落解放の運動なども行っていたのです。し かし、彼らの発 想の中にも、あってはならないものを排除するという発想がありました。結局、彼らの運動は当時の日本の全体主義的な流れに抵抗できな かったのです。 そういう点で、私は逆に悲惨と苦痛の中にいる人間の中から 、つまり『下から』こそ良いものが生まれてくるのではないかと考えています 」 そして宮崎氏は現在の被差別部落問題をこう指摘し講演を閉 めた。 「今、差別はあまり表立ってはなされていません。非常に希薄ではあるがきめ 細かになっているのです。たとえば、ある凶悪犯罪がおきたと き、インター ネットの掲示板でさかんに『犯人は部落出身者である』という デマが流されま した。 また、自民党の野中は『TIME』誌に『賎しい出自』というタ イトルで部落出 身者であることが暴露されました。この記事は4月2日号に掲載 されたものですが、そのときはちょうど森内閣が倒れたときのことです。 おそ らく野中に敵対 するアメリカの勢力が出してきた記事であると私は思います。 このように、今 の差別は個々人の決定的なときに出てくる可能性というものが あります。 来年には、特措法が終わります。戦後、部落解放闘争は行政闘争として前進 してきた。私はこの闘争というものを評価しています。評価は しているのです が、やはりそこには限界があるのではないかと思います。道路 や建物をつくる のではなく、人々の間に刷り込まれた差別意識の問題と対峙し ていかない限り前進はないでしょう。その新しい方向性を作ることは、道路を 作るよりも多く の金がかかるかもしれない。しかし、それを切り開いていく義 務があると思います」
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脳キツネ目組バッチ
●宮崎学 雑誌ダカーポに、野中広務論連載中。