センチュリーの会が企業つくって、出版にのりだした。

その第一作を紹介する

これこそ、もうからん「企業舎弟」やのう

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「泪(namida)の旅人」 たけもと のぶひろ 

 

拝啓宮崎学さま

  明月堂代表取締役社長・末井です。

  この前、お願いしておきました、『泪の旅人』の件ですが、昨日あたりから、 書店に並び初めております。そろそろ、ホームページでご紹介していただければと思い ます。

  実は、9月18日発売の「サンデー○○」で『泪の旅人』と、小生を「人寄せパ ンダにした」(株)明月堂の紹介記事が掲載される予定になっていたんですが、今回の事件で掲載が吹っ飛んでしまったのです。宮崎さんのホームページでやって 頂ければ本望であります。

 

 ちなみに、「サンデー○○」では以下のような感じで明月堂が紹介されること になっておりました。  

明月堂は、社長以下役員全員が前科者(監査役は宮崎学)で、基本的には、前科 者だ けの出版社で行こうではないか、との「高い志」を掲げた出版社です。  会社設立のきっかけは、宮崎学さんたちと2年くらい前、新宿の焼き肉屋「明 月舘」で食事をしたとき、自分を含め、その時、周りにいる前科者の服役期間を 合計したら百年を超えることから、洒落で、それらのメンバーと共に「百年の孤 独を楽しむ前科者の会」(通称・センチュリーの会)という、親睦団体を作ったの です。(宮崎注 「わしは前科者ちゃうちゅんじゃい。いっしょにすな」)

 その際、いずれ前科者だけの会社を作って、何か商売をしようではないかと話 し合っていたことがあるのですが、そのときの「酒飲み話」が形になったのが、 この度の「百年の孤独を楽しむ前科者の会・(株)明月堂」です。

 なお、明月堂のマークにフクロウを用いたのは、次のような理由によります。

 フクロウ。此鳥は成長すれば母を食ふ。故に不幸鳥とせり。依って鳥を木上に おき、磔にせる貌とす。転じて人首を木にかけさらす獄門の刑の義とす。(講談 社『大字典』編纂者・上田万年他)。

 親不孝者の集まりである、明月堂にぴったり一致すると考えました。  

以下に、宮崎様の参考になればと思い、若干資料めい た物を書き送ります。

 ご無沙汰しております。前科者の前科者による前科者の為の出版社、(株)明月堂の記念すべき第一弾『泪の旅人』(発売は青林工藝舎)、ようやく発売にこぎつ けることが出来ました。  

都内の主要書店なら12日当たりから店頭にならんでいると思います。地方でも 今週中には届くのではないでしょうか。どうか宜しくお願い致します。  前科者が始めた出版社らしく、その第一弾を、やはり前科者のたけもとのぶひ ろ氏で飾れたことは光栄の至りと考えております。

   実は18日発売予定の「サンデー○○」でしっかり紹介して頂けることになって いたのですが、今回の「アメリカ大騒動」で全部吹っ飛んでしまっ由、昨夜編集部より連絡がありました。悔やまれてなりません。どうせやるならあと一週間待 って欲しかった……、私の正直偽らざる心境でございます。どうやら今回の「アメリカ大騒動」の一番の被害者は俺ではなかったかなどと、総括しております。

 ところで、たけもと のぶひろ氏と言っても誰のことか判らないひとも多いと思 いますので、若干説明させて頂きます。

 著者は、元京大経済学部助手で、全共闘運動華やかかりし頃、「滝田修」のペ ンネームで多くの論文を執筆し、当時の学生運動に大きな影響を与えた若手の学 者でした。  しかし、71年に起きた「自衛官殺害事件」関係者の嫌疑をかけられ、全国指名手配を食らい、以後10年余りに渡って逃走生活を余技なくされてしまいます。

 それでもめげず、無類の猫好きであった著者は、逃走中に知り合った黒猫を伴侶に警察の追求を必死にかわし、猫との二人三脚? の逃走劇を演じることにな りました。

 本著はそんな黒猫「つよし」と著者の交流を描いた「伴侶」を含め、いずれの 作品も、著者の性格をそのままに、筆致は優しい眼差しに満ち、読む者の疲れた 心を癒さずには置かない逸品ばかりです。

 


 

末婆がほんつくりよったから紹介する

 

宮崎学である。

 世の中も半世紀以上、好きなことしかせんで生きてくるとまあ、いろいろアホなもんに出会うわけやが、 この「センチュリーの会」ゆうのんもそれや。

 みなしっかりとんまなサヨク運動で逮捕されて、おひとよしばっかりで、有罪になって刑務所にぶち込まれたとかそんな連中が数年前から順番に出所してきよった。で、あつまって、4,5人で数えてみたら合計100年越していたという馬鹿馬鹿しい青春 であった。世の中にこれほどのアホどもも珍しい。全部ササジュンコーの「浅間山荘事件」かなんかに登場しよる。

 で、こいつらが集まってはうれしそうに昔話ばっかりしてあまりにくだらんから、「おまえら、センチュリー の会と名乗りなさい」と皮肉ゆうた。そしたら4分の1世紀にもムショぐらしでみんなめちゃめちゃ素直な性格になってしもとって、 そのままの会をつくりよって、今度は出版社つくって「100年の重み」やて。まるで岩波書店みたいやろ。わしに「宮崎さん、最高顧問になってください」ゆうてきよったがな。あほらし。 何が100年の重みや、出版の歴史とちゃうんやがな。

 

むろん、わしは刑務所に入るちゅうようななドジな目におうたことはないのだ。こんなんといっしょにされても迷惑な話なんやけど、まあ成り行きで引き受けなしゃあないようになった。 むろん一円にもならん。

 末婆ちうのはあだ名でな、ほんまは男や。これがムショにヤクザもソンケーするぐらい入っていたくせに ものすごい心配性でやな、花も恥じらう乙女の西原理恵子氏におどかされて3晩もよう寝られないとか、そんなやつである。これまでこいつがだした永六輔氏の本は当時「大往生」がヒットしていた「岩波新書」そっくりの装丁でまぎらわしい限りであった。また、おもちゃのピストルで捕まった漫画家に記憶だけでかかせた刑務所の漫画もあったな。あれはわしおどろいた。ものすごい記憶力やったなあ。

 ま、「本が売れない時代だ」とわしが書いてるにもかかわらず、出版などはじめるという時代感覚のやつらだ。せめて組員は本やでみかけたら立ち読みぐらいしたったれ。「たけもと のぶひろ」ちゅうのは一時、全共闘の教祖といわれた滝田修氏のことだが、そんなんいうてもいまどき、だれもしらんやろおもうけどな。しらんでも恥ちゃう。わこうてしっとったら恥かもなあ。はて、なんでわしこないにいそがしいのに他人の本宣伝してんねん。もうしらんでえ。本業に戻る。(9/13)

 

 

 

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